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  • 2020.01.12 Sunday

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    内田百里痢慳検校の小閑』を読書会で

    • 2020.01.11 Saturday
    • 21:05

     さる火曜は読書会初めでした。課題図書は内田百里痢慳検校の小閑』(1940)。いま現在流通しているものだと岩波文庫『東京日記』やちくま文庫『サラサーテの盤(内田百僚言第4巻)』に収録されています。

     やはりすばらしかった。。読み返すたびいつも、からだ中の垢がたちまち噴き飛ばされて世界の解像度が跳ね上がる心地に浸されます。

     

     

     内容は百里蕕靴っ司埔説です。種村季弘の指摘を俟つまでもなく、カタストロフから必死に目を逸らし続けるオブセッションが駆動力になっています。

     作中では二人の命が奪われます。けれどそれ以前にも語り手は視力を失い、あまつさえ伴侶まで亡くしています。つまり世界は避けがたく崩壊のただ中にあり、好転どころか現状維持すら望めません。

     圧倒的に無慈悲な現実にも拘らず、それでもなお生きうるとしたら一体如何なるかたちが可能なのか?本作はそれを、語られる内容にもまして語りそのものを通して実現しようと試みます。

     例えば、後半にさしかかり水の叙述によってヒロインの存在が印象づけられるや、反対に次の章では彼女の在否が炎の瞬きへうち重ねられます。すると畳みかけるように続く章で、閃く稲妻(火に連なる現象)が液状に表現されます。

     「隣りの人のいない席のなんにもない所に、稲妻が水をぶっかけるように光っては消える有様を自分は身近かで想像した」。ヒロインの失踪という退っ引きならない現実を出し抜いて、修辞に固有な出来事が招き寄せられるのです。

     あるいは、ヒロインと水は当初から縁があったわけではありません。にわかに相関しだすきっかけというのもじつは偶さか双方の叙述が語り手を挟んで対をなしたことに起因します。両者の本質なり属性には何ら由来しないのです。

     弟子を看取った語り手が、喪失感のあまり身じろぎも出来ずにいると不意に涙が溢れます。そこへ「石に裂け目が走る様に三木さんの俥が帰ってくる」。石化した語り手を揺るがす偶然として、水(涙)とヒロイン(三木)が内と外から同時に降って湧くのです。この機縁が両者の共鳴を仕舞いまで響かせることになります。

     ともあれ語り手が現実とは別の生を幻想に見出だしたように、読者(著者)もまた現実とは異なるリアリティを言葉の世界すなわち小説そのものから促されるわけです。

     

     それにつけても『柳検校の小閑』って寡聞にして冷遇されがちな印象があります。かつて三島由紀夫に激賞された後なぜか不当に蔑ろにされているような。大好きな一篇だけに惜しい。。そんな最中、数年前『日本近代文学』へ寄せられた次の論文はまさに旱に雨でした。

     今回も火の主題を追いかけるのに参考にさせて頂いたのでした。ダウンロードできるようなのでよかったらどぞー。

     

      ★ 野田康文「内田百間・盲目の〈闇〉と視覚性、あるいは記憶の表象 :『春琴抄』から『柳検校の小閑』へ」(2015

     

     当日のレジュメも掲載しておきます。

     上述したとおり、水や火など各種の主題があれよあれよと膨らみ転じる様はじつにスリリングです。そしてその手際の細やかさにはつくづく溜息を禁じえません。本当に端正だなぁ。。

     

     

     

     かたや別の主催による「つんどく読書会」も近々開かれます。次の課題図書は、鶴見和子の『南方熊楠 : 地球志向の比較学』(講談社学術文庫)。78年の初出以来いまや熊楠研究の基本文献になっています。鶴見さんご自身の足跡を顧みても重要な位置を占めるお仕事です。

     

     

     2020年1月24日(金)閉店後のマゼランで予定しています。委細はセンダイ自由大学さんのフェイスブックをご覧下さい。ご応募お俟ちしております〜。

     

     それから、おととい届いたお菓子もお知らせ!
     左からだるまクッキー¥250、ココナッツボーロ¥230、シナモンと胡桃のビスケット¥230 ! !

     

    謹賀新年。

    • 2020.01.01 Wednesday
    • 12:35

     あけましておめでとうございます。

     本年もどうかよろしくお願い致します!

     

     

     朝は晴れてよい年明けです。

     まぁそうはいっても、例によっていつにもまして人どおりはまばらなのだけれど。。

     営業する身にとっては寂しい限りですが、かえって澄んだ心地すらしていっそ清々しかったり。

     ともあれ、本年がよい年になりますよーに!

     

     元日から通常営業。20:00 まで開いてます。よかったらお立ち寄り下さいませ〜。

    IBPE(志賀理江子)第2弾 ! + 青野文昭一品展 !

    • 2019.12.22 Sunday
    • 17:11

     本題前に年末年始の営業につきお知らせです。

     例によって火曜のみ定休を頂き、他日は通常営業いたします。

     なので、大晦日がお休みです。

     元日から開きますので、よかったらお立ち寄り下さい〜。

     

     閑話休題。

     さて11月から始まった、志賀理江子さんによる「 Independent Bookstore Print Editions(以下 IBPE) 」。きのう展示替えしました!第2弾です。

     

     

     前回に引きつづき今作も写真集『 Lily 』(2007)からセレクトしました。

     タイトルは「 Tomlinson FC 」(2005)。耳を覆いに殺到する腕が鮮烈な作品です。

     

     作家がイギリスへ留学していた折に、地元のフットボールクラブに依頼して制作したと伺いました。好きに振る舞ってとだけ彼らに伝え、あれこれ試しているうちに撮れた一枚なのだそう。

     それにつけても不思議な佇まいです。出しぬけにこんなシーンが生まれるなんて、どんな現場だったのかしら。。

     

     前作と比べたらオーソドックスな額装ですが、写真はマットで抑えず浮かしています。作品のどこか浮遊感漂う幻想味を下支えしてくれています。

     

     初回から台座代わりに敷くこの布切れは、撮影の小道具としてかつて再利用されたものをさらに転用しています。傷み具合がなかなか味わい深い。。

     

     IBPE のエンブレムがここにも!

     

     先にもちょっとだけ触れましたが、本企画では作品を展示販売するのに従って参加書店もテキストを寄せる申し合わせになっています。せっかくなので、こちらにも掲載しておくことにしました。よかったらご笑覧下さいませ(なお初回分も追記したので、よかったらこちらの記事からどうぞ)。

     

     椅子の向きを無闇と変えたがる人がいる。まっすぐ腰を下ろして何らさし支えない場合ですら、いたずらに動かすあまりかえってもたついたりする。 座り心地がどうというより、本人の存在そのものを持て余しているのかもしれない。収まりの悪いわが身をどうにか仕切りなおそうと抗っているようだ。 カフェなどで見かけるたびに、不器用さがじれったくも不思議と憎めずつい見守ってしまう。たぶん彼らなりに切実な儀式なのだ。存在することへの違和を鎮めるために。

     

     

     『Lily』(2007)所収の写真はどれも霞がかって幻想味を帯びている。再撮影を重ねて故意に鮮明さが奪われているせいだ。表象を累乗した分だけ、被写体は否応なく実際の存在からはぐれてしまう。反面そこにこそ幻想の宿る余地が生じる。こうでしかありえない現実に抗って、ありうべきもう一つの世界が手繰り寄せられる。

     現実を仕切りなおして別の生を再開すること。たぶん再撮影はそのための切実な儀式なのだ。手法としての価値以上に。

     

     本作はその意味で典型といえるかもしれない。これほど形式と内容が緊密に連携している例は珍しい。 画面の霞みに応じて現実味が薄らぐ一方、歩調を合わせるように被写体じしんも視聴覚を断ち現実から撤退している。けれど必ずしも無感覚に陥るとは限らない。裏腹にも耳を塞ぎに押し寄せる他者の手が、触れられる側の官能を呼び覚ます。硬く閉じられたその身の奥には、他者たちと交感しあう無数の幻想が溢れているに違いない。 群れる腕による放射状の構成は、引き蘢ると同時に幻想が湧きだす双方向の律動を暗示している。

     

     IBPE は火星の庭さんでも同時開催中です。見比べて楽しんで頂けたらなと思います!

     当企画のホームページが新調できました。どぞ〜。

     

     それから、、じつは数日前から青野文昭さんの展示もひっそり始めました。一品だけですが、まじまじと向き合うにはよい作品です。こちらも合わせてぜひ!

     

     こんなところにクリーチャーが!という佇まい。巣食っているというか。

     

     梱包資材として使われていたプラスチックのバンドかしら。結わえられ打ち捨てられていたものに合板が添えられています。たぶん2017年作。

     

     そして、、ご近所のせんだいメディアテークさんでは大きな企画展が、また大町のターンアラウンドさんでも個展が開かれています。さながら青野祭り(青葉祭りみたい!)です。こんな多くの作品を同時に見渡せる機会はそうざらにありません。お見逃しなく!

     

     それから、つい紹介するタイミングを逃したままの本がありました。新刊ですが弊店でも扱ってますー。

     

     

     手前右から、、

    『東北の古本屋』折付桂子 著、日本古書通信社、2019、¥1000+税

    『青色とホープ』一方井亜 著、七月堂、2019、¥1300+税

    『白日窓』同上、思潮社、2014、¥2200+税

    『疾走光』同上、思潮社、2011、¥2200+税

    『仙臺村通信 神戸へ出張編』門眞妙、2019、¥350(税込)

    志賀理江子さんによる Independent Bookstore Print Editions シリーズ始まりました!

    • 2019.11.15 Friday
    • 20:30

     唐突かつひっそりで恐縮ですが、本日から志賀理江子さんの作品を展示します!

     

     

     作家の発案になる「 Independent Bookstore Print Editions(以下 IBPE) 」シリーズの一環です。

     IBPEとは、、今展を皮切りに始まる、志賀さんと本屋による共同企画です。ステートメントを引いておきます。

     本屋がなくては生きてゆけない写真家志賀理江子が、インディペンデントブックストアの店内にて店主と選んだ作品を、ユニークピースとしての1点に制作、店内に展示販売するシリーズです。

     

     

     じつはこの春先に志賀さんからお声がけ頂き、以来ちょっとずつ準備を進めておりました。ようやくお披露目できて嬉しいです。

     作品は、作家本人がサイズや額装にまでこだわって仕上げた一点もの。例によって展覧会だとイレギュラーにあしらわれることが多いため、額入り姿がとても新鮮です。ついつい端正な佇まいに見とれてしまいます。

     

     しかも、、火星の庭さんと同時開催しています。弊店とはまた別の一点ものがご覧頂けるのです。

     拠りどころは期せずして両店とも同じ写真集なのですが、毛色はまったく異なる系統を互いに選んでいます。

     『 Lily 』から、弊店は「 Piano 」、火星さんは「 I wanna be a scientist 」です。

     

     なお、販売につきましては当面店頭のみで承ります。

     

     額縁はタモ材。ゆったりかつしっかりした幅があり、内側へわずかに傾斜しています。連続して垂直に落ち込む深み部分は金仕立てになっており、黒白のプリントをじわっと引き立てます。

     

     函には書店主から作品へ寄せたテキストが添えられています(本文はこの記事の最後に追記しました)。箔押しされた IBPE のエンブレムが恰好いい!

     

     当展の記録集です。古本をスクラップブック風に転用しています。弊店では絵本を利用していますが、火星さんはまた違う本。店ごとにどんな本がピックアップされるかも見所のひとつです。

     

     こんな風にそのつど作品や展示の情報を追加してゆきます。情報の編集、それにカットや貼付は作家本人が手がけています。この辺のセンスも面白いです。

     

    2019.12.22 追記

     本作へ寄せた書店主からのテキストを公開しておきます。

     母方の親戚が集まると、決まって幽霊のはなしになった。ほら、こないだ亡くなったあの人、また来たの。口々にそう告げてはうなずき合う。そういう血筋らしい。ところが何の因果か私だけが勘に恵まれなかった。輪に入ろうにも相槌すらおぼつかない。

     それだけに心霊写真は重宝した。なにしろ私にも見える。ただ、大人のおしゃべりに倦まずついてゆくにはまだ年端が足りなかった。結局は頭越しに聞き流すはめになる。卓の片隅でためつすがめつ写真に食い入っているのが常だった。

     

     

     志賀の「 Piano 」シリーズは、仕舞ってあったプリントにあえて手を加え、それを再度撮り直すことによって生み出された。

     写真に魅了されて間もないころ、彼女は手近なものをアレンジして片っ端からシャッターを切っていたという。わけても固よりあった身体への興味から、様々な仕草を身内に振り付けては記録した。当作の元になっているのもそのうちの一枚だ。裸なのは姿態を隈なく観察したかったためらしい。

     やがて大学に入ると、写す対象ばかりか写したプリントまでアレンジし始める。穴をあけたり引き裂いたり、あるいは火をつけて歪ませた挙げ句に灰にしてしまったり。どうやら一方的にイメージを構成するだけでは飽き足らず、イメージに働きかけて返ってくるその手応えを求めていたようだ。当作はその延長にあたる。卒業後に手がけられたそうだ。

     

     

     次第に家中が気ぜわしくなり子どもには身の置きどころがなくなる。そっと抜けだしてはよく河原で時間をつぶした。ムクドリの飛翔は格好の見世物だった。数十万の群れが一斉に、とんでもない勢いで駆け抜け急旋回を繰り返す。伸縮自在に天が閉じては開く。 いうまでもなく統率者はいない。なかには軌道を逸れたり中途から合流するものすらいる。あくまで個体は自由なのだ。きっとめいめいが近傍を察し、それが折り重なった果てに大きなうねりがもたらされるのだろう。てんでばらばらな個のゆらぎを調停するかのように、群舞が生起する。ムクドリ自ら化けるのだ。何だか私にも幽霊を見られた気味がして、親戚への気がねが多少はやわらぐ。

     

     

     対象と相互作用するさなかに、来るべきイメージを見据えること。周知のとおり後には、他者をも巻き込みよりラディカルに展開される性向だ。けれどその萌芽はすでにここに見てとることができる。

     

     

      帰るとすでに日も傾き会食が始まっていた。
      案の定叱られた。
    

    春がふるさんのミュージックビデオに + 仙台写真月間2019 + 読書会で『坊っちゃん』

    • 2019.10.10 Thursday
    • 12:02

     春がふるさんは仙台を拠点にご活躍なさっているバンドです。つい先日新譜のMVが公開されました。

     じつはその舞台として弊店を使って下さっています。

     たしか去る4月ごろに打診を受けて、実際の撮影は6月あたまぐらいだったかしら。まだ梅雨に入る前の光がキラキラ記録されています。店のすぐ手前、晩翠通りを過るクルマでしょうか、その反射光が小さな日だまりを結んで本の背の上を駆け抜けます。はかなくも軽やかで、光のひとつぶひとつぶがうんと愛おしいかんじ。歌詞のテーマ、言葉を伝えることの危うさと相俟ってぐっときます。

     

     Lyrics&Music 春がふる

     Recording&Mixed by Sound Resource Inc.

     Camera & Edit【MV】 CCPMLABO

     マキシシングル【言葉は】 1.言葉は 2.潔く

     CD購入、「春がふる」に関するお問い合わせはTwitterまで。

     

     まだ数ヶ月前の光景なのに、何だかもう懐かしい思いに駆られたり。。

     ともあれ、春がふるメンバーの方々はもとより、撮影から編集まで独力でこなす薄衣さん、その節は本当にお疲れさまでしたー。

     

     他の楽曲やMVも素敵です。同じくYou Tubeでご視聴できます。よかったらどぞ!

     

     ところで、恒例の仙台写真月間(2019)が今年も始まっています。

     今週はSARPで城田清弘さんと稙田優子さん。この火曜にはぼくも拝見してきました。両者ともとってもおもしろかったです。

     

     

     城田さんのは、今までになく充実した構成に吃驚させられました(従来の写真だと散漫な印象に必然的な意味がありました)。前半には自宅近辺の街なみが一列に配され、対する後半は家庭内の様子がほぼ2段に組まれます。後者にさしかかるやにわかにサイズが落ちて接写が増します。おのずと親密さが促されるのです。さながら外から帰宅する安らぎでしょうか。すると対蹠的に、前半のよそよそしく見えた風景が後半のダシでしかないかのように早合点されてしまうかもしれません。けれど掉尾を飾る一枚が前半を遡及的に見直すよう迫ります。庭へ下りた家族が自宅を背に佇む写真です。前半の街なみ同様、外から家屋が撮られているのです。外という一点を蝶番にして家庭の存在が前半に折り返されます。こんな家庭のひと齣がもしかしたらあのお宅やこのお宅でも営まれている(これから営まれる / かつて営まれていた)のかもしれない、と。家庭と街が入れ子状に相照らしあい出すのです。

     おまけに実は振り返ってみれば、前半にもご自宅と小さな娘さんが街なみに紛れて登場していたのでした。しかも2度。まず冒頭3枚めに、少女がお宅を背にブレて写り込んでいます。どうやら駆け出した瞬間のよう。その後どこへ行ったのやら街なみの写真が続いた挙げ句、会場の角を2度折れ曲がり、初めの壁面と対面するちょうど真向かいの位置に再び娘さんが現れます。場所は同じですが今度は直立しています。どうもかしこまっている風情です。何しろこの直後に家内へ観者が招き入れられることになるのですから。いずれにしろ2周めともなると、たとえ無人であろうと街のあちこちに少女の気配を察してしまいます。そのぶん写された街に溶け込み始めているのかしら。

     あと細かい点を挙げればきりがないけれど、上述した正対する位置どりの他にも、画面内の奥と手前、あるいは勾配等にまで会場構成上の配慮が行き届いていました。

     

     稙田さんの方は、段階的にピントを外したり画像を重ねたり、いくつか方法を試す実験的な展示になっていました。わけても何かの目印なのか樹木に結わえられた黄色いビニールひものシリーズが圧倒的でした。興奮して夢中で食い入ってしまい、ともすれば咽び泣きそうでやばかったです。。

     風にあおられたり萎れたりその豊かな表情もさることながら、画面全体に紡がれる複雑さが凄いのです。例えば、奥には公園らしいアンバーの照りかえしが強烈に煌めく一方、手前にそよぐビニールひもは影のせいかくすんで見えます。そのうえ中心にも拘らずピントが合っていません。宙に浮かぶシルエットばかりが印象に残ります。構図上逸早くビニールひもが注目されてよいはずなのに、目は奥の煌めきに引き寄せられ、まして目に見えすらしない風の存在にまで意識が飛んでしまいます。離散的なこのありようはティツィアーノさながらです(cf. 田園の奏楽ウルビーノのヴィーナス)。物体と光そして風、各セリーは分岐し破裂しかけますが、同時に黄味(ひもの黄と地面のアンバー)を分け持つことで仮初めに交通しあう地平を担保します。無論その度合いは陽ざしや距離の加減で刻々と変化します。どうもそれに伴い生じるセリー間の落差こそが写真家の運動を誘い込み、崩壊しかかる画面を寸前で持ちこたえさせ続けているようにも見受けられます。あたかも写真家じしんがセリーのひとつとしてひもや光たちとダンスを踏んでいるかのようなのです。スリリングこのうえありません。そんなさなかへ巻き込まれてしまったぼくは、ただただ感動するあまり泣きべそかきながら一連の写真の間を右往左往するよりなす術がなかったのでした。。

     

     あと「ビニールひも」というこのチープさが堪りません。貧しい素材にも拘らず、繰り広げられた果てに実現されるその感覚の豊かさ、激しさ。ギャップもえしてしまいます。かつて岡崎乾二郎さんが自作「あかさかみつけ」シリーズを評して、チープな素材(ex. プラダンとか)をハイテック(空間を分節し統辞する複雑さ)に仕上げる倒錯した悦びについて語っていましたが、そんな感じです。

     

     そうそう、最近メニューにカプチーノ(¥500)を復活しました!よかったらどぞー。

     

     

    追記(2019.10.30)

     夕べの読書会は『坊っちゃん』(夏目漱石)でしたー。

     流石に今や、爽やか青春ものだとかユーモア一辺倒という感想は皆無で、 みな自ずと主人公のコミュ障ぶりや発達障害を念頭に読解なさっていました。

     

     

     話題は多岐に渡りましたが、印象深かったのは、あれほど短絡的な主人公がこの手記をものするだけの思慮深さをいつ培ったのか?という問題です(松山で問題を起こしてからだと約6ヵ月、最愛の下女を亡くしてからはたった2ヵ月の経過)。
     小森陽一さんの論文(
    「裏表のある言葉『坊ちゃん』における〈語り〉の構造」)を踏まえれば、松山で揉まれた挙げ句、本音と建前など言葉の機微を痛感させられた結果なのかもしれませんし、あるいは物理学校をストレートで卒業するくらい地頭がよかったからなのかもしれません。
      けれど実は、もとより思慮深かったにも拘らず、江戸っ子ゆえの照れ隠しから当の描写を本文から故意に間引いていた可能性もありえます。というのも本手記が弔辞、すなわち下女へ宛てた手紙と看做せるからです。
    松山の地で書き損ねたまま、死別によりついに手渡すことすら叶わなくなった手紙です。面と向かって伝えるにはそれこそ照れてしまうところを、第三者に語るふりをし、かつまたおどけるふりまでして(だからときにユーモア小説とも受容されうる)どうにか落とし前をつけようと振り絞られたのがこの手記、『坊っちゃん』という小説ではなかったかと。。

    ドリンク類の価格改めます。

    • 2019.09.19 Thursday
    • 13:00

     めっきり秋めいてきました。今日なんて朝からからっと晴れわたり、澄んだ空気に天の高さが心地よいです。こんな日がずっと続くといいのになぁ。。

     

     

     さて、この10月から増える消費税にあわせて弊店でもドリンク類の価格を見直すことに致しました。各¥50ずつ上がりますのでどうかご了承下さいませ。

     なお、古本は従来どおりです。巻末の見返しに挟まっている値札をご確認頂けたらと思います(すべて内税)。

     

     現状価格(すべて内税)2019.9.30.mon. まで

      コーヒー(アイス/ホット)¥400

      紅茶(アイス/ホット)¥400

      カフェオレ¥450

      エスプレッソ¥300

      ブラッドオレンジジュース¥450

       ↓

     改訂価格(すべて内税)2019.10.2.thr. から

      コーヒー(アイス/ホット)¥450

      紅茶(アイス/ホット)¥450

      カフェオレ¥500

      エスプレッソ¥350

      ブラッドオレンジジュース¥500

     

     それから来週末の9/27(金)には「つんどく読書会」が開かれます。弊店を会場に閉店後ひっそり始める予定です。

     今回の課題本は、山田風太郎の『明治断頭台』(ちくま文庫)。史実を踏まえながらも、例によって底抜けのフィクションが繰り広げられます。主人公は正義漢のお役人ふたり。けれど彼らにもましてその手下であるチンピラどもがうんと魅力的に描かれます。というか表舞台を彩る権謀術数の華々しさもさることながら、かえって否応なくそれに翻弄され歴史の藻くずへ散りゆく彼ら脇役の疾走ぶりにこそ風太郎の真骨頂が見てとれます。フォードばりのラストのガンアクションには胸を打たれずにいられません。

     我がままをいえば、ヒロインたるエスメラルダの役回りでしょうか。もっと厚みを持たせられそうなのに惜しいなぁなんて。主知主義的な主人公の思惑に都合よく収まり過ぎるというか。。

     

     

     ともあれ、委細は主催のセンダイ自由大学さんのフェイスブックをご覧下さーい。要予約。参加費¥1,000(コーヒーとお菓子つき!)

     

     最後に、つばめどうさんのお菓子もお知らせ!第2・4土曜に配達されます。今回はこんなかんじです。

     

     

    オレンジピールとチョコチップのビスコッティ¥260、四つ葉の抹茶クッキー¥200、シナモンと胡桃のビスケット(りす)¥230 !!

    菊池聡太朗「ウィスマ・クエラ」展について

    • 2019.07.17 Wednesday
    • 14:08

     お天気がずっと優れず、なかなか外に本を並べられません。うむ、、かなりの欲求不満。早く梅雨があけてすっきり晴れてほしー。

     ところで、きのう拝見した ARUGA AKU という方の個展がおもしろかったです。かたや和紙に版を何度も重ねて色面一帯にじわっと深さを出しつつ、他方ではそのあいだにメタリックな粉末がまぶされて不思議な抵抗感が醸されていました。刷毛でぴっと引いたような跡もじつは版を使って刷りだしてたり。色々見所がありました。この日曜日まで開かれているようです。

     

     ARUGA AKU Exhibitionー感情の欠片 紙の上ー

      会期:2019.07.16.tue - 21.sun

      時間:11:00 - 19:00(最終日 - 17:00)

      会場:SARP(仙台アーティストランプレイス)スペースA

     

     閑話休題。

     今さらながら、、この春に開かれた展覧会の感想を載せておこうと思います。

     インドネシアにある「ウィスマ・クエラ」邸についての調査報告?というか経験の再構成が試みられていました。

     元々は現地の建築家マングンウィジャヤの手になる自邸です。それが死後も増改築を繰り返し、今や色んな人たちが行き来するアナーキーな場になっているらしい。2018年に菊池聡太朗さんが滞在した折も現在進行形で手が加え続けられていたようです。今展はその記憶を写真によるモンタージュを通して透かし見る趣向になっていました。

     artscape には五十嵐太郎さんによる記事も掲載されています。会場風景も見られるのでぜひ!

     それから、菊池さんの次回個展がこの10月に予定されているようです。こちらも愉しみ。

     

     ウィスマ・クエラ|菊池聡太朗

      会期:2019.3.26 - 4.3

      会場:ギャラリー ターンアラウンド

     

     「ウィスマ・クエラ」という家屋が写真に切りとられ会場に鏤められていました。ただし細部に限られます。部屋の一望はおろか、ましてファサードなど全体像がそれと知れる外観は皆無です。そのうえリボンの忘れものなど一時的な現象も目立ちます。どの断片もあまりに頼りなく、いくらかき集めたところで建築そのものは一向に焦点を結びません。かえって印象は拡散するばかりです。

     

     さりとててんでまとまりを欠くわけでもありません。部分的には連合し、そのつど異なる一面を垣間見せてくれます。階段の写真なら、複数のうち一枚にだけリボンが写っています。すると落とされた経緯や今後の行方が気になってしまうでしょう。挙げ句かつてそこを昇降した人々の身上にまで思いが及んだりするのです。おそらくそのうちの誰かが、他の写真にあるとおり扉を開け放したり、ないしは壁に穴をあけたに違いありません。いわば彼ら潜在的な他者こそが、たとえかりそめであれ写真どうしに見通しをつけてくれるのです。

     

     写っている細部とはつまり他者の痕跡です。そして、その重なりには彼らにとってのその場所の意味が浮かび上がります。ボスのトンド(円形画)を例にとれば、当初はその主題(「放蕩息子」ルカ福音書第15章)への共感から部屋に飾られたのかもしれません。あるいはまた旧宗主国への無意識的な従属からでしょうか。けれども他方では、既存の窓のかたちに影響された可能性も捨てきれません。例えば調和を試みたとか。少なくとも両者を隣接させた展示からはそんな解釈が促されます。円を通して他者たちの連携が生まれ、暮らしに新たな装いがもたらされたというわけです。

     

     同様に他の痕跡たちも互いに呼応しようと待ち構えています。おまけに詰め気味の構成がさらに棹さし視線の横滑りを誘います。あちこちでショートが仕組まれているのです。なかには奥の写真が隠れるほど重なっていたり。わけても、紛れ込んだように場違いな合板が野心的です。例の窓よろしく穴がくり抜かれ、当の会場そのものに「ウィスマ・クエラ」がショートさせられます。それを補強するかのように場内壁面には戸外のスケッチまであしらわれていました。ともあれ円を通して制作者じしんが他者たちの連携に列なり、場所の上書きを実践してみせているのです。

     

     家屋を、つどに応じた意味の系譜として記録すること。もとより増改築の激しい物件ゆえのアプローチです。予定調和なり堅固な理念は端から望むべくもありません。偶然に充ちた事実性こそ賭金です。そのうえでなお全体の輪郭もまた事実として否応なく存在します。この即物的な全体を制作者はどう捉えるのか。無いものねだりとはいえ、別の機会にでも伺ってみたいものです。

    Book! Book! Sendai 10周年記念誌『本があるから』出来!+ 追記 2019.6.26

    • 2019.06.10 Monday
    • 12:47

     Book! Book! Sendai にはその立ち上げに参加させてもらって以来、一箱古本市など色んな企画をとおしてずっとお世話になっています。

     今は大きなイベントごとにはひと段落つけ、本にまつわる活動をフォローアップする試みに傾注なさっています。その成果のお一つが今回の出版です。

     書店事情や新しくできた本のある場所、そして在野で研究しながら出版活動を続ける方などなど、地元のあちこちへ丹念に足を運ばれ記事になさっています。

     本の周りって、仙台圏に限っても本当に多様な人たちに溢れています。おもしろいな。彼らの目をとおしてあらためて本と街や人との関係を見つめ直してみたくなりました。

     

     

     内容が盛り沢山で ¥1,000(+税)。お得感ハンパないですよ!

     とくに故 渡邊慎也さんの活動の記録は貴重です。仙台の近代研究には欠かせない存在でした。

     

     ちなみに店内用ポップも作ってみました。。

     

    追記 2019.6.26

     きのうは読書会で『冥土・旅順入城式』(内田百痢砲鯑匹澆泙靴拭

     虚実の見境を踏み倒してゆく文体は相変らずスリリングで痺れます。わけてもやはり「旅順入城式」や「件」は別格かなぁ。
     後ろの方の数編にはちょっと退屈させられもするけれど、それもご愛嬌に思えてくるのは百里凌佑箸覆蠅里陰かしら。。
     さりとてその中でも「蘭陵王入陣曲」は何度読んでも笑い転げて腹がよじれてしまいます。

     ゆるゆるのレジュメですが、あわせて掲載しておきます。

     

    「志賀理江子 ヒューマン・スプリング」展をみて + 2019.5.15 追記

    • 2019.05.05 Sunday
    • 19:10

    * 2019.5.15 追記

     つい先日から門眞妙さんによるイラスト新聞(?)『仙臺村通信号外 最終平成特集』を販売しています。

     表がポスター、裏には地元仙台に取材したイラストとマンガが掲載されています。

     

     1枚¥350 +税(画像だと分かりづらいですが、店内にてポスター面を掲示しています)

     

     取りあつかう期間は概ね7月ぐらいまで。それにあわせて原画の展示もしております。ぜひお越しを〜。

     

     

    * 以上追記

     

     このゴールデンウィークの直前に、もう何年ぶりになるかしら?相当ご無沙汰だった東京まで足を伸ばしてみました。お目当ては知人の展覧会です。青野文昭さんと志賀理江子さん。青野さんは森美術館「六本木クロッシング2019展:つないでみる」に参加なさり、志賀さんは東京都写真美術館で個展「ヒューマン・スプリング」を開かれています。

     なるべく早めに感想を残そうと思っていたのに、何やかやと一向に進捗せずもう明日5/6(月)が志賀さんの最終日になってしまいました。とほほ。。いっぽう青野さんのはもうしばらく5/26(日)まで見られるので、チャンスのある方はぜひに。

     とりあえず志賀さんの分だけでも備忘録として書きつけておきます。

     青野さんは年内にも大規模な個展が予定されているので、それを俟って改めて触れられればと。。

     それにつけても53階にある森美術館のさらにうえ、屋上デッキからの眺めがすごかった。あんな高さで風に吹かれる経験なんて初めてだったので超気持ちよかったです。

     

     本題に入る前にもうひとつ大事なお知らせがあります。

     折よく(?)志賀さんの写真集を入荷しました!絶版久しい『カナリア』です。しかも未開封で、ゆえに帯も完備してます。これは珍しいですよ。もちろん1点限り。

     

    『カナリア CANARY』(志賀理江子 写真、赤々舎、2007初版)¥28,000 -

     

     他にも『螺旋海岸 | album』(2013)と『Blind Date』(2017)も新刊で扱っています。サンプルも店内にございますのでぜひ!

     ちなみに『螺旋海岸 | notebook』(2013)の古本も1点のみ在庫してます。

     

     閑話休題。

     以下「志賀理江子 ヒューマン・スプリング」展の感想です。

     

    『志賀理江子 ヒューマン・スプリング』(丹羽晴美 編著、東京都写真美術館、2019)

     

     背丈を超すボックスが会場一杯に林立していました。面ごとに異なる写真が貼り込まれ、移動に応じて刻々と景観が変化します。隣り合って見えていた写真もやがて前後し隠れてしまったり。見通しが悪いどころか、踏み込むほどに深い森の奥へ迷い込むかのようです。

     さりとて無秩序というわけではありません。むしろ強いて型に嵌めようとしている節さえ窺えます。というのも全てのボックスが会場と平行しているのです。整列を避け、適度に散らされてはいるものの野放図な写真にはどこか窮屈そうです。

     かたや中央付近には一点だけ、骨組みしか備えていないボックスも紛れていました。例の平行が利いているせいか、同じ直方体である当の会場までも連想させます。何しろともに空っぽな容器どうし、トポロジカルに響き合っているのです。周到にも壁面の方にも写真は一切架けられていません。

     

     空洞を巡るこの共鳴は、さらに「表象」を意味する「ルプレザンタシオン」というフランス語まで招き寄せます。かねがね志賀さんが拘る言葉であり、古義に「喪の黒布で覆われた空の棺」を含むのです(cf. 本展カタログ p117、p119、p128)。もとより「表象」自体にも空虚が控えています。例えば写真なら、今ここには現前しない何ものかを示しています。写って見える表象はその痕跡でしかありません。生の記録を焼きつけるその同じ手立てが、裏腹にも否応なく不在をすなわち死を縁どってしまうのです。

     ともあれ骨組みにしろ会場にしろ、ともに棺や表象そして写真とさえ通じています。だとしたら場内を彷徨う道ゆきは、棺に足を踏み入れる言わば死への階梯と看做せるかもしれません。おそらく展示作品の不可解さ、あるいは巨大化する理由もまさにこの点に由来します。写っている表象の訳の分からなさ、この理不尽さに撃たれる経験が死と等値されているのです。巨体は予め引きの猶予を封じ、捨て身を迫る作用を果たしています。

     

     その一方で、水平垂直ばかりが幅を利かすなか構わずはぐれてしまう軌跡が目を掠めます。地平の勾配です。例えば男性が顔を赤く塗りたくった写真であれば、水平線が斜めに写り込んでいます。たかが背景ではあります。されど同じプリントがボックスの裏面全てを占めるに及び、よもや見過ごすことも叶いません。まして会場の奥から見渡せば一帯が傾斜してすら感じられます。さながら赤ら顔を支点に座標が傾いてしまったかのように。全体にピントが甘く暗い写真のせいか、顔面が宙に浮かぶ目印に見えるのです。

     しかも一同に勾配が等しいため、共通する軸が予感されます。地軸です。そもそも当の被写体は、春のたびに躁を繰り返したという男性がモチーフになっています(cf. 本展カタログ p115、p121、p125-126)。季節の循環こそ、地軸の公転面に対する傾きに由来します。会場(= 写真)が静止した死の虚ろな空間だとしたら、そこを斜めに貫いてゆく軸線は生の象徴でもあるのかもしれません。

     

     ところで、撮影時にカメラを傾げる癖は初期の頃から認められます。正中線やフレームなど、既成の条件に対する違和の表れなのでしょう。とくに『カナリア』では、暴力的な角度が現実離れした印象をもたらしていました。今展でもやはり、所与の理不尽さへ向けた抵抗になっています。会場の構造やボックスの骨組み、そして死です。ただし対象を単に否定するのではなく、むしろそこに潜む別の条件を探り当てかつ糸口にして全体を読み替えてしまいます。

     なぜ赤ら顔の男性は裸なのか?なぜピンぼけの上にフラッシュが焚かれているのか?染みついた習慣なり構えでは皆目見当がつきかねます。理不尽極まりないにせよ、ひとまず写真に身を明け渡すしか手がなさそうです。その内側から経験を紡ぎ直すほかありません。例えばひとつの可能性として地軸の発掘をとおし、現前するこの空間とは別の座標軸上に生まれ直すことが試みられます。写真による狙撃には、まさにこのような再生が賭けられているのです。

    小さな古本市「6 books」やってます!

    • 2019.03.09 Saturday
    • 16:45

     ご近所は同じ町内にある the 6 というスペースで古本市が始まりました〜。

     規模は決して大きくないものの、市内外の本屋6店舗がギュッと絞り込んだ棚をつくっています。

     目下ビジュアル的なものやデザイン方面に寄せた内容になっていますが、今後の動向次第で補充や入替えを考えています。

     よかったら繰り返しお立ち寄り頂けたらと思います。

     いよいよ春めいてきたこのごろ、お散歩がてらどぞー!

     

     入口からずんずん進んで左手壁面が会場です。

     

    会期:2019.3.4 - 5.31(原則平日のみ)

    時間:9 : 00 - 18 : 00

    会場:the 6(仙台市青葉区春日町9-15-3F)※ 当該ビル脇の入口から階段を上ります

    備考:平日18 : 00以降もしくは土日祝日でも他イベント開催時であればオープンしています

    参加店舗:

     book cafe 火星の庭/仙台
     古書水の森/仙台
     古書往来座/東京
     阿武隈書房/いわき

     書本&cafe magellan(マゼラン)/仙台

     

     それから、来週木曜3/14には再びつんどく読書会が弊店で開かれます。

     課題テクストは大江健三郎の小説「河馬に噛まれる」です。本来は連作短篇として複数の作品から編まれていましたが、現在入手して読めるものはというとそのうち2篇のみ、『大江健三郎自選短篇』(岩波文庫)に収録されています。

     現実と虚構の差異はもとより、立場や時間など色んな力線に引き裂かれるかのようなエクリチュールはとても魅惑的です。大江さん一流のユーモアも相変らず味わい深いですし。「河馬」ものに限らず、文庫所収の作品はどれもおもしろい。

     それにつけても初期から一挙にこうして辿りなおすと、光さんの存在の大きさに改めてしみじみさせられます。かたや弟さんの聡明さに不意とたじろがされたり。。

     ちなみに今回は参加者の方々に「好きな一節、厭な一節」を選んできてもらうことになっています。これは初の試みです。ドキドキしますが、お気軽にどぞー。

     お申し込みはセンダイ自由大学さんのフェイスブックのページで!

     

     つんどく読書会「河馬に噛まれる」(『大江健三郎自選短篇』岩波文庫所収)

      日時:2019. 3. 14. thr. 20 : 15 -

      参加費:¥1,000 -(コーヒーとクッキーも含む)

     

     ところで、、先月末はまた別の読書会(ご近所のサラリーマン方数人との)で『第一阿房列車』(内田百痢砲鯑匹澆泙靴拭推薦者の方が用意して下さった資料が面白く、こちらでもご紹介しておきたいと思います。ちょうど百里虜酩覆映画や舞台に翻案された折の、作家じしんによる言葉です。
     「私は従来の作品に於いて文章を書いたのであって物語の筋を伝えようとしたのではない積もりである。そう云う積もりで書いた私の作物の中から芝居なり映画なりの組立てが成ったと云うのは、その事に携はった脚色家の労苦と好意による事であって、私としては深甚の感謝を致さなければならぬと考へるが、同時に作者として自省す可き点があると思はれる。つまり私の文章が未熟である為に後でおりが溜まり或はしこりが出来て、そう云うところが人人の話の種になるのではないか。もっと上達すれば私の文章も透明となり何の滓も残らぬであらう。さうなれば芝居や映画になる筈がない。今日の事は私の文章道の修行の半ばに起こった一 の戒めであると考えられる。読者が私の文章を読む以外には捕える事が出来ないと云う純粋文章の境地に到達する様一層勉強するつもりである」(『頬白先生と百鬼園先生』序、昭和14)
     モダニスト的(生理を核にした形式主義)信念が全開する一節に胸を打たれました。もし日本にモダニズムがあったとしたなら、新感覚派なんかよりいっそう、漱石(「 F + f 」)—百離薀ぅ鵑砲海渋づいていると、かねて見立てているものですから。。

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    10:00am-20:00pm
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    定休日:火曜
    仙台市青葉区春日町7-34
    お店のホームページはこちらです。

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