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    高山登展「300本の枕木 呼吸する空間」につきまして(+2010.3.18追記)

    • 2010.03.14 Sunday
    • 20:45
    いきなり本題とは無関係なお知らせをひとつ。
    再三お伝えしてきました、ブロカントギャルリーSendaiもいよいよ大団円が迫って参りました。
    お祭りももう終わりかー。。なんて感慨に耽るにはまだ早すぎます。最終日は明日3月15日(月)18:00までですからね。
    どうぞふるってご来場下さい!
    bro-inu
    ブロカントギャルリーSendai公式ホームページより転載。
    密閉されても朗らか。なんだか健気です。

    2010.3.18追記
    ブロカントギャルリーSendaiは、お陰さまで去る3月15日無事に幕を下ろすことができました。
    色々大変でしたが、心から愉しく思える11日間でした。やれてよかった。
    今回のイベントは、ひとえに皆さまのお力添えの賜物です。
    この場を借りてお礼申し上げます。
    ご来場下さったお客さま、そしてブロカントメンバーのみなさま、本当にありがとうございました!
    また次回ありそうです。
    委細が決まり次第ご報告いたしますね。

    さて、閑話休題。
    takayama
    ただいま開催中の高山登展、気づけば残り日数もあと僅かとなっていました。
    そこで、クライマックスに向けて、豪華なイベントが矢継早に組まれているようです。
    県内では滅多にない機会です。多少ともご興味のある方にはぜひご覧になって頂きたいものです。
    じつは今日もシンポジウムがありました。ボクも足を運びたかったのですが、生憎営業のため断念。参加なさった方がいらしたら、どんなだったかご教示頂けると嬉しいです。

    高山登展「300本の枕木 呼吸する空間」
    会期:2010.1.23-3.28
    時間:9:30-17:00
    会場:宮城県美術館
    作家公式ホームページ:http://web.mac.com/ntaka1/iWeb/ntaka/Top.html
    イベント:
     3.14.13:30- シンポジウム 高山登のいまを語る(椹木野衣+高島直之+高山登)
     3.20.14:00- パフォーマンス(田中泯)
     3.21.14:00- 田中泯+高山登

    ちなみに、展覧会は先般じっくり堪能して参りました。
    野外も含めて美術館全体が最大限に活用されており、見応えがありました。
    また、本会場が現在と過去に潔く二分され、見通しのよい展示だったと思います。

    さて、印象に強く残っているのは、屋外倉庫を利用したインスタレーション「地下動物園」です。数十本の枕木を、コンクリートの壁や床にただ並べただけにも拘らず、濃密な空間が実現していました。
    枕木にしろコンクリートにしろ、素材そのものは無骨な風情です。しかし、それがグリッドを基調に、偏差を加えながら精密に配置され、空間全体が洗練された堅牢さを湛えていたのです。
    素材と構成が醸すこの緊張は、そもそも素材自身に孕まれています。
    枕木は、いっぽうで鉄道の敷設にあわせて合理的に設計されています。ところが、他方では強烈なタール臭が鼻を衝くうえ、人手には余りに大きく重すぎます。つまり、抽象的な線条であると同時に人体を危険に曝す極めて感覚に訴える物体なのです。
    コンクリートも同様です。可塑性に富む合理的な素材である一方、打ちっ放しのそれは無機質に冷たく荒々しい印象を与えます。
    全体と部分を貫くこの緊張は、さらにまた素材同士の間にも反復されます。コンクリートの無機質な固さに注目するや否や、枕木が温もりある有機物として浮かび上がるのです。
    この折り合いのつかなさは、様々な水準で繰り返されますが、ついに解消されることはありません。むしろ、折り合いの悪さに踏み止まること、つまり緊張を反復し累乗すること、この執着こそが作品に比類ない固有の質、すなわち作家性を齎しているように思われてなりません(おそらく、この解消しえない緊張はより大きな文脈で語り直すことも十分可能です。例えば、くだんのシンポジウムに登壇した(はずの)椹木さんは、その著『日本・現代・美術』(1998)で、日本における近代化の歪みを現代美術における奇形に見出し、その一例として高山さんの形式主義的な側面とそれにそぐわない側面の亀裂に着目しています)。
    ただし、この倉庫の作品以外は巨大オブジェの集塊と云うほかなかったのではないか(イメージ先行の造形であって、あえてインスタレーションと呼ぶべき必然性を感じられなかった)。枕木をはじめどの素材も、劇的な効果に奉仕させられるばかりで(とりわけエントランスホールの高さを利用した作品と照明を落とした本会場!)、素材もしくは空間固有の緊張が封じられていたように見受けられたのでした。
    それにつけても、これほどの規模と質の作品は、県内ではなかなかお目にかかれないことは云うまでもありません。より多くの方にご覧頂けたらなと思います。

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    • 2020.01.12 Sunday
    • 20:45
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      コメント
      10年以上も前になりますが・・・。

      枕木を並べていた者ですが、ただ並べただけじゃないんですヨォ〜
      って見る側からすればただ並べただけなんでしょうけどね。(笑)

      そろそろ有るか無いか分からないファイルを探して県美に行かなくては・・・。
      > petitenYOSさま
      はじめまして。コメントありがとうございます。
      高山さんに教わった方でしょうか?制作の補助をなさっていたのですね。
      「ただ並べただけ」というのは、言葉の綾に過ぎません。然るべき理由によって枕木が構成されているということは、そのあとの条りで明らかにしたつもりでした。拙い文章ゆえ誤解を招いてしまったようです。申し訳ありません。
      構成の理由について、より正確を期せば次のように書き直せます。
      「素材との緊張を担保するために、グリッドを基調にしながらなおかつグリッドそのものへのフォーカスを外した構成になっている」と。
      それはさておき、実際の作業においては、どのような指示のもと設置なさっていたのでしょう?
      支障のない範囲で結構ですので、ご教示頂けると幸いです。
      何卒宜しくお願い致します。
      ご教示と言われると困ってしまいますが(汗)
      昔話と思って読んでいただけたら、と当時を思い出し書いて見ます。

      枕木に触れることになったのは大学に入ってすぐでした、上の学年に男子学生が少なかった事も有って県美で行われた高山登氏のワークショップに参加させられ(そんなに強制的では有りませんでしたが(笑)、そのままその後の数年間殆どの作品で枕木を運びました。
      そこで先ず教わったのがインスタレーションとは日本語で言えば「布置」である事でした。空間にモノを置く事自体がインスタレーションなのです。
      置く時にも高山氏は色々気を遣います。不安定に見える積み方をしていても、倒れる事が無いように細心の注意を払います。
      置く場所については、授業で聞いていたデッサンの話やセザンヌの話など空間や物の形から感じる・・・コレはどうも文章にしづらいですが(汗)まぁ授業に関わらずしょっちゅう話を聞いていましたので、えぇ?ココに置くの?と言う疑問は感じたことは無かったと思います。それだけ一貫性とそれなりの理屈が有って置いていました。雰囲気としてはさながら映画を撮っているときのような感じがしていました。(映画の撮影現場には行った事がありませんが(笑)

      ココからは裏話になってしまいますが、初期の枕木は1人でも持ち歩く事は出来ました。途中、木自体が重くなったり、中に樹脂を染み込ませたりして(コノ枕木はとても重いです。)実際の枕木は色々な重さがあります。まぁ作品自体に影響は無いと思いますが。

      私自体はあの枕木群の中を歩くのが好きです。クレオソートの匂いもそんなに嫌いでは有りません。あの匂いをかぎながら、枕木によって切り取られるソノ空間の表情、切り取られ方が代わる事によって変遷する表情の記憶が自分の中の記憶と呼び合って溶け合う感じ。そんな体験が好きだし、それがインスタレーションなのだと思うようになっていました。なので最近の「インスタレーション」にはちょっと違和感を感じます。まぁ言葉は移り変わるものなので、ソチラが多勢になればそういうコトとなるのでしょう。

      コチラの文章を読ませて頂いてそんな昔の事を思い出しついコメントしてしまいました。
      私の方が言葉足らずで申し訳ありませんでした、なんていってなんか肝心な部分が上手く書けませんでしたがご容赦下さい。

      20日の田中?さんのパフォーマンス見てきましたが、変わらずの健在ぶりで面白かったです。
      枕木の方も見てきましたが、少しづつ変わっているところも高山氏らしいなぁと。ん?先の文章と食い違うかな?(笑)

      • petitenYOS
      • 2010/03/22 8:55 PM
      >petitenYOSさま
      お返事ありがとうございます。
      大変興味深く読ませて頂きました。
      やはり現場にいらした方のお声は面白いですね。
      なかでも、枕木の重量にかなりの異同があるというご指摘は新鮮でした。

      高山さんは、よく一般的に「もの派」に分類されてしまう作家ですが、彼が「もの」そのもの、つまり既成の枕木を提示していたのはごく初期に限られていたはずです。
      要するに、作品の大半が彼の手で加工された枕木を採用しているわけです。
      だとすれば、その加工法に様々な試行錯誤や工夫が生まれて然るべきで、その都度いろいろな重量の枕木が生産されただろうことは想像に難くありません。
      したがって、重量の異同は決してとるに足らない些事ではないはずです。
      おそらくそこには、作品の組成を支える重要な鍵が潜んでいるように思われてなりません。というのも、高山さんの枕木は、抽象的な線条である一方で、それとは相容れない、彼の身体の延長として呪術的なオブジェの機能をも担っているからです。自身が加工することに積極的な意味が看て取れるわけです。

      とはいえ、どんなに手が加えられようとも、作られるのはやはり枕木以上でも以下でもありえません。過剰な表現性は徹底的に避けられています。
      作家が加工したものでありながら、表現性を欠く中性的な佇まい。おそらく、これこそ高山さんに固有の質です(李禹煥や菅木志雄など他の「もの派」と総称される作家たちと比べれば一目瞭然です)。まさにこの中性さが「抽象的な線条」と「呪術的なオブジェ」間の緊張を吊り支えているのではないでしょうか。より正確を期せば、両者の緊張を吊り支えるためにこそ、枕木の中性さが要請されていると云い換えられます。
      先に触れたように、高山さんが「もの派」に括られがちな理由、あるいは、彼の枕木が「もの」そのものの風情を纏わねばならない必然性もここに認められます。

      ところで、中庭の作品は、のんびり歩き回れてとても開放的でしたね。
      地べたに寝かせた枕木も多かったですが、同時に、人の目線上を滑走するようにも軸線が構成されており、必ずしも視線が地面あるいは地中に向かわない(かといってPS1や白州での作品のように人の目線を超えて上昇することもない)仕掛けになっていたからかもしれません。

      田中泯さんのダンスもご覧になっていらしたのですね。ボクも拝見したかった。羨ましい(笑)。
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