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    小岩勉写真展 第5期 続

    • 2010.04.09 Friday
    • 14:07
    今回は、2001年と2004年の作品を3枚ずつ展示しています。
    rifu
    利府町 2001
    tagajo
    多賀城 2001
    sendai1
    仙台市 2001

    前者が撮影されたのは、写真集『野守の鏡』(1999-2000)が上梓された時期です。
    以前お伝えしたとおり、風景の固有性を避けながら日本各地を撮り歩いたシリーズです。
    ただし、この3葉に限り、シリーズを締め括るためにこそ制作されたそうです。まるで溶暗するように、サイズをぐっと窄めた理由は、そのための配慮だと伺いました。
    sendai2
    仙台市 2004
    sendai3
    仙台市 2004
    sendai4
    仙台市 2004

    いっぽう後者の3葉は、撮影スタイルが一転しています。つまり、撮影する区画を限定し、固有の景観を断固避けないように撮られているのです。
    おなじ風景でも、両者が生み出す画面はまったく異なります。
    前者にとって、風景とはどこでもないどこでもよい取り替え可能な対象でした。それに応じて、撮影者=観者=主観も世界から括り出されるほかありません。どこにも帰属しない超越的な視線そのものに浄化してしまうのです。

    ところが、後者にとって、風景はあくまで抵抗として見出されます。生身の身体を他所ではないここに限定すれば、自ずと摩擦が生じます。突飛な高層マンションや視界を塞ぐ高架橋は、景観を壊すに十分な存在感を放つでしょう。
    しかし、もはやそれを回避することはありません。風景に闖入するに任せてしまうのです。

    後者が始めて発表されたときは、数十枚の写真ほぼ全てに、同一の建造物(例えば、突飛な高層マンション)が映り込んでいました。無論それが主題として浮上するような構図にはなっていません。かえって一瞥だけでは見過ごされかねないものも少なくなかったと記憶しています。
    しかし、建造物が見当たらない写真ほどその存在が気になってしまうのです。この風景だとどちらに振り向けば、くだんの建造物が見えるだろう?と。
    こうして、観者は写真の間を経巡るよう仕向けられるわけです。そして、写真を渡り歩くたび、この経巡りを可能にする架空の土地が脳裏を掠めます。
    それは、写真家が現実に経験した実在する土地とはもはや関係ありません。むしろ、写真家が経験した摩擦そのもの、つまり摩擦の実在感こそが観者の身体において反復しているのではないか、そう思えてなりません。

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    • 14:07
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