第3回 青野文昭小品展 第1期 続
- 2013.07.25 Thursday
- 15:51
前回につづいて、画像を掲載します。
それにしても、東北の梅雨はいつ明けるのかしら。外にも本を並べたいのに、ここのところ欲求不満ぎみ。。


「なおす・延長・インドネシア・バリ」2002-1
「なおす・延長・インドネシア・バリ」2002-2


「なおす・延長・インド・デリー」1999-2
「なおす・延長・インド・デリー」1999-1

「なおす・延長・東京・八重洲」2000
この月曜日、河北新報さんの夕刊に「まちかどエッセー」の記事を載せて頂きました。2回めです。こちらにも転載しておきます。なお、初出とは若干異なります。
次回は、8月5日(月)に掲載予定。よかったらどうぞー。
初回の記事はこちら。

* タイトル *
クモ
* 本文 *
クモがまた網を張りかえていた。店の軒先が気に入ったらしい。重力も意に介さず、器用に糸の上を立ち回る。地表に代わり、網が大地をなしている。宙空にも拘らず、クモの体をしっかり支える。かえって、足下の踏み台が心細い。じっくり観察したいのに、ひどくふらつく。
視力は弱そうだ。いくら覗き込んでも一向に逃げだす気配がない。いっぽう、触覚がはるかに発達している。獲物がかかれば、振動をたよりに駆けつける。みずから糸を爪弾き、先方に探りも入れる。はては、糸電話よろしく、網を揺らしてラブコールさえ伝えるという。神経を網全体へ拡張し、震えをとおして状況の変化を察知する。
同様に、やはり視聴覚に恵まれず、触覚をよすがとした人に、ヘレン・ケラーがいた。歩くこともままならない。まずはためらいがちに、あてどなく腕をさまよわせるほかない。ところが、ふと何かに触れるや、にわかにそれが支点となる。まるで、寄る辺ない無重力のなか、かろうじて石でも探り当てたかのように。どんなに小さかろうと、それこそが大地をなす。
大地はいたるところに遍在している。ただ触れ、神経を研ぎすましさえすればいい。そのつど、ヘレンは降り立ち、あらゆることを学びとる。ことばもそのひとつだった。
彼女ははじめ、ものごとの区別にことさら難儀していた。コップと中味、そして飲むこと、これらすべてを、コップを傾げるしぐさによって一緒くたに理解していた。喉を潤す欲求が根強く、それを越えられなかったのだ。しかし、ときと場所を違え、あらためて手にスペルが綴られたとたん、氷解する。ことばによる分節を体得してしまったのだ。時空はおろか、欲求からの解放まで思い知る。
ことばは、その仕組みにそって神経の再編を余儀なく迫る。身を支えるばかりが大地の働きではない。むしろ、それは梃子をかね、事態を転回する支点でもある。降り立つたび、大地は世界を更新しうる。ヘレンはのちに、ラテン語やギリシア語にまで通じた。
ひとしきり観察するのにも飽き、踏み台からそっと足をおろす。いつにもましてやわらかい。踏みしめるのもほどほどに、仕事に戻る。
それにしても、東北の梅雨はいつ明けるのかしら。外にも本を並べたいのに、ここのところ欲求不満ぎみ。。


「なおす・延長・インドネシア・バリ」2002-1
「なおす・延長・インドネシア・バリ」2002-2


「なおす・延長・インド・デリー」1999-2
「なおす・延長・インド・デリー」1999-1

「なおす・延長・東京・八重洲」2000
この月曜日、河北新報さんの夕刊に「まちかどエッセー」の記事を載せて頂きました。2回めです。こちらにも転載しておきます。なお、初出とは若干異なります。
次回は、8月5日(月)に掲載予定。よかったらどうぞー。
初回の記事はこちら。

* タイトル *
クモ
* 本文 *
クモがまた網を張りかえていた。店の軒先が気に入ったらしい。重力も意に介さず、器用に糸の上を立ち回る。地表に代わり、網が大地をなしている。宙空にも拘らず、クモの体をしっかり支える。かえって、足下の踏み台が心細い。じっくり観察したいのに、ひどくふらつく。
視力は弱そうだ。いくら覗き込んでも一向に逃げだす気配がない。いっぽう、触覚がはるかに発達している。獲物がかかれば、振動をたよりに駆けつける。みずから糸を爪弾き、先方に探りも入れる。はては、糸電話よろしく、網を揺らしてラブコールさえ伝えるという。神経を網全体へ拡張し、震えをとおして状況の変化を察知する。
同様に、やはり視聴覚に恵まれず、触覚をよすがとした人に、ヘレン・ケラーがいた。歩くこともままならない。まずはためらいがちに、あてどなく腕をさまよわせるほかない。ところが、ふと何かに触れるや、にわかにそれが支点となる。まるで、寄る辺ない無重力のなか、かろうじて石でも探り当てたかのように。どんなに小さかろうと、それこそが大地をなす。
大地はいたるところに遍在している。ただ触れ、神経を研ぎすましさえすればいい。そのつど、ヘレンは降り立ち、あらゆることを学びとる。ことばもそのひとつだった。
彼女ははじめ、ものごとの区別にことさら難儀していた。コップと中味、そして飲むこと、これらすべてを、コップを傾げるしぐさによって一緒くたに理解していた。喉を潤す欲求が根強く、それを越えられなかったのだ。しかし、ときと場所を違え、あらためて手にスペルが綴られたとたん、氷解する。ことばによる分節を体得してしまったのだ。時空はおろか、欲求からの解放まで思い知る。
ことばは、その仕組みにそって神経の再編を余儀なく迫る。身を支えるばかりが大地の働きではない。むしろ、それは梃子をかね、事態を転回する支点でもある。降り立つたび、大地は世界を更新しうる。ヘレンはのちに、ラテン語やギリシア語にまで通じた。
ひとしきり観察するのにも飽き、踏み台からそっと足をおろす。いつにもましてやわらかい。踏みしめるのもほどほどに、仕事に戻る。