第1回 志賀理江子 試論 (分載2)

  • 2012.03.09 Friday
  • 00:44
 本題前に、お知らせがひとつ。
 お陰さまで、古本とアンティークの蚤の市「+R」が先月末をもって、ひとまず小休止を迎えました。会期中にご足労下さったみなさま、本当にありがとうございましたー。
 先行きが定まらないまま、とにかくスタートしたのが、2010年の11月でした。それから、あいだに大地震が起こり、何度かお休みを頂きながら、気づけばはや1年以上経っていました。突っ走ってきたせいか、時の経過が不思議でなりません。。
 ともあれ、お客さまはもとより、ご一緒させて頂いている関係者のみなさま、とくにISHINNご夫妻、BUKOWSKIさんには感謝してもしきれません。本当にお世話さまです。深々と多謝!
 また4月1日から装い新たに再開する予定です。あらためて、どうかよろしくです!
 会場は、引きつづき、kurax(クラックス)です。

 閑話休題。

 まずは、、志賀さんのオープンアトリエが、2012年2月1日から3月31日まで、せんだいメディアテーク7階にて仮設中!です。
 来る11月に予定されている個展と写真集へ向けて、公開制作が進められています。
 おまけに、展示されているものがどれも興味深いのです。作品として使われる写真だけでなく、専属カメラマンとして地域の行事を撮影したものまであったり。それから、写真どうしを関連づけて曼荼羅のように配置した掲示物や、昨年の6月から開かれている「志賀理江子レクチャー」の記録。なかでもとりわけ目を引くのは、北釜の浜で拾われてきたと思しき、松ぼっくりや藁で設えられた祭壇です。遺影を包み込むようにあしらわれています。
 アトリエを仕切るのは、津波が来るまえ、祭りに向けて準備されていた桜の板絵です。ちなみに、BGMは地域の宴会でうたわれる「ぼけます小唄」。おばあちゃんたちに交じって、志賀さんの声も!さらに、すぐそばにある仙台空港から辺り一帯に轟くジェット音が、意図的に被せられています。

 それでは、「第1回 志賀理江子試論」のつづきです。(前回分はこちら

***
(承前)
1 『Lily』
 制作時期に応じて4つのシリーズに分かれ、近年のものから順に配列されている。すなわち「Lily」(2005)「Damien Court(以下Damien)」(2004)「Jacques saw me tomorrow morning(以下Jacques)」(2003)「Piano」(1999)だ。前三者は、当時留学していたロンドン、その団地に住まう人々。後一者は、実弟を被写体にしている。

 最も古い「Piano」には、空を切って打鍵する身ぶりと、まるでその指先を追いかけるかのような、星屑の煌めきが定着している。これは、プリントに小さな穴を乱れ打ち、背後から光をかざして再撮影したものだ。この手法は、のちに続くシリーズにも引き継がれ、複写機による引き延ばしやマクロレンズによる接写など他の技法と混交しながら、より効果的に展開されることになる。
 ところで、この「Piano」(2ページ内に4枚のみ)以外のシリーズでは、すべて黒地を裁ち切るスタイルが採用されている。例外が4ページあるにせよ、それすらやはり、枠内に黒地を湛えている。それゆえ、多様な人物像が矢継早に登場するにも拘らず、闇がすっぽり彼らを覆い、一枚ごとの独立性が弱められている(『CANARY』と比較すれば一目瞭然だ)。闇に潜む暗い意志が、串刺すかのように3つのシリーズを貫いている。どのプリントも必ず手が加えられ、大抵どこか暴力的に歪められているのだ。
 しかも、年を追うごと、それが過激になる。例えば「Jacques」で、はじめて水平・垂直の裂傷が導入されるや、次いで「Damien」ではその頻度が急増する。前者16枚の内たった5枚きりだったのが、後者では33枚中26枚にも及ぶのだ。「Lily」に至っては、加算の勢いは緩むものの、その一方で放射状の裂傷が縦横無尽に出現し、鮮烈な印象がいやましに増幅されている。なかでも最近作にあたる「Lily」の爆発ぶりは特筆に値する。それまで、およそ人物像の近傍に集中していた加傷が、ところ構わず炸裂し、モノトーンばかりだった画面に、突如多彩な色斑が溢れ出すのだ。あるいは、浮遊するモチーフが頻出し始め、いっそう安定感が失われている。
 近作になればなるほど、次第に歪みは大きくなり、より不穏さを増している。横長のフォーマットが、この傾向をさらに急き立て、まなざしを先へ先へと滑走させる。おまけに、中途さし挟まれるピローショットの急減がなお疾走感に拍車をかける。「Jaques」で16枚中2枚(ドアと扉)、「Damien」では33枚中3枚(時計とメモ、外壁)、そして「Lily」になると40枚中1枚(外壁)しかなくなる。ひょっとすると、この写真集は後ろから捲られるべきなのかもしれない。たとえ慣習に逆らってでも。

 それにしても、なぜ、こう不穏なまでに画面が歪められる必要があるのだろうか?おそらく、この歪んだ画面こそ、法が発動された証しなのだ。志賀は、はっきり法の執行者に位置している。一方的にまなざし、対象を圧倒すること。そうして、必死に法を担うこと。法を現前させ、支えるには、暴力が揮われねばならないのだ。画面中に悲鳴が反響すればするほど、法が執行されたより確かな証拠となる。しかし、法そのものは経験を超えた理念だ。それに対して、法の存在を確かめるには経験上の物的証拠しか手がかりがない。すると、法が自己証明を果たすことは、じつは原理的に叶わない。もしくは、法を完全に執行するとなれば、それは完全な破壊を意味し、証言者たる写真自体をも葬りかねない。だとすれば、法が自身を支え、存続するには、絶えず証拠を提出し続け、極限まで漸近するよりほかに道がない。しかも回を重ねるごと、より強い証拠が求められることになる。だから、あれほど執拗に歪曲は繰り返されねばならなかったし、ますます性急に加速する必要があったのだ。(つづく)
***
 志賀理江子公式ホームページ:Lieko Shiga

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