第4回 青野文昭小品展 第5期

  • 2017.02.20 Monday
  • 19:24

 先週、展示替えしましたー。

 昨年9月を皮切りに、5回にわたって継続して参りましたが、おかげさまでこれが締めくくり。欠かさずご覧下さった方も、未見という方も、ぜひこの機会をお見逃しなく!

 3月いっぱいやってます。

 

 

 前回同様、2014年に韓国で滞在制作された作品たちです。とあるモーテルの備品がはぎ取られ、例によって「直さ」れています。

 今回は、ほぼすべての素材が壁紙なので、展示壁に相当同化しちゃってます。というよりむしろ、後者へ作品をあてがっているようにも見てとれて、さながら展示空間じたいを直しつつあるかのよう。。なんて妄想が過ぎるかしら。

 

 

 青野文昭さんの公式ホームページはこちら

 

 ところで、縁あって最近、ある読書会へ参加することになり、うん十年ぶりに『吾輩は猫である』をひもときました。じつは、通読するのはこれが初めて。お恥ずかしながら、話数ごと順不同でしか接したことがなかったのです。

 結果、、すこぶるおもしろくって、蒙が啓かれまくりでした。

 例えば冒頭、猫が池をかすめて苦沙弥宅へ転がりこめば、仕舞いには甕へ転落して水死してしまいます。もとより水は、『草枕』のオフィーリアを引くまでもなく、漱石にとって死を仄めかすモチーフです(逆に温水は生/性の奔出にかかわる。『猫』なら銭湯の大男=ニーチェの超人とか。この点たしか芳川泰久さんが詳細に論じてたはず)。

 つまり、猫は当初から一貫して冥界に臨む存在だったのです。作中、誰とも交流を全うできないまま孤独に幕を閉じるのもむべなるかな(人はいわずもがな、種を同じくするクロは中途退場、三毛子は知らぬ間に亡くなる)。

 そもそも、漱石じしんのカリカチュアたる苦沙弥に対して、猫はツッコミ役のメタ意識(超越論的な自己)を託されています。苦沙弥たちの生きる世界に、居場所なんて見出だせるわけありません。

 これは、漱石の養子経験が強く反映してる気がします(2回も養子に出されたうえ、籍を先方へ据え置いたまま再び夏目家へ引き戻された過去がある)。家なり社会のどこにも腰を落ち着けられず、居心地わるさを拭えない(仙台弁でいう「いづい」!)。それでもなお、事態をユーモラスに語り直しては引き受けてみせること。そうして初めて、この世界の傍らに、かりそめであれ「私」の居場所を切りひらくことができる(漱石にとって『猫』なる写生文は、たぶんそういう切実さと裏腹なんだと思う。マゾッホ的ユーモアにも通じる)。

 養子小説(?)としての『猫』。かって細切れに拾い読みしていた折には、完全に見落としていました。

 

 次回は、伊藤整の『近代日本人の発想の諸形式』を読む予定。またあたらしい発見があるとよいなぁ。

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  • 2017.11.23 Thursday
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