おとなりさん

  • 2016.03.25 Friday
  • 22:39
 ずいぶん間が空いてしまいました、ブログを更新するの。まぁ、毎度のことですが、いざ筆をとるとなると、なんだかバツが悪くて、もじもじしてしまいます。。
 他方、リアル店舗の方は、お陰さまでいつもどおり、のんびり営業しております。近ごろ越していらしたという方が、散策がてらお立ち寄り下さったり、逆によく利用して下っていたお客さまが転勤なさると伺ったり。もう春なんだなぁなんて。

 ところで、ここ一年、空地のままだったお隣に、いよいよ何か建つようです。伺えば、木造2階建て。フロアごとに各1件ずつテナントを募られるとか。以前はモルタルの古いビルに、お弁当屋さんともなか屋さんでした。さて今度は?何屋さんが入居なさるのかしら。そわそわ。
 ちなみに、もなか屋さんはわりとお近くに移転されて、変わらず営業なさっています。時おり場所を訊かれるので、こちらでもお知らせしておきますね。
 くじらもなか本舗(仙台市青葉区木町通1-2-18、022-261-4490)

 というわけで(?)、当分、お隣の工事は続くようですが、弊店はもちろん連日開店しております(ただし火曜は定休日。ご注意を!)。ご来店お俟ちしてます〜。

 話は変わり、昨年来読み継いで参りました、くらもちふさこさんのまんが。それがようやく既刊分すべてを読み終えられました(とはいえ十数冊ほどですが)。残すところ目下連載中の『花に染む』のみ。

 『天然コケッコー』第7巻、くらもちふさこ、集英社文庫、2003、90頁。
  この話数では、28頁ほぼ全ての見開きが、右頁に対称するカップルのアップ、左に風景を擁する彼らのロングを配して、リズミカルにコマを進めます。イマジナリーラインの目紛しい変遷(ずっとすれ違いが重なっていた挙げ句、この直後に距離をおくことになる二人です。だから、当シーンでは、お互い以上に自分に対してすら探りを入れるような超絶微妙な目線の演技がくり広げられる)をフレームでコントロールしきる右頁の巧みさもさることながら、その二人だけの世界へ機械的に休符をさし挟む、左のショットの効果たるや。つくづく溜め息を洩らさずにはいられません。。


 それにつけても、構成の緻密さと密度がとにかく凄い。。80年代半ばから、とりわけ、90年代以降の作品は、読んでる間ずっとあっけにとられっぱなし。そして、現在進行形の『花に染む』とその序章たる『駅から5分』からなるシリーズは、その匠の技を発展的に集大成する趣を呈しつつあります。
 『駅から』は、ある街の住人たちが織りなすオムニバスです。互いに無自覚のまま、知らずしらず関係しては波紋を残しあう絶妙な間合いが描かれます。一方『花に』は、主人公ひとりの半生です。過去のしがらみを絶ち、一からやり直すべく当該の街へ越してくる前後が語られます。
 つまり、前者が街を精査して空間(他者との関わりからなるネットワーク)に厚みをもたらすとしたら、後者は人を掘り、時間の暗い深みに迫ります。そして、白眉は両者の絡み合い。読み進めるごと、以前のエピソードやシーンが逆照射され、意味が膨らんだり塗り替えられたり、あたかも切り子細工のようにきらきら様相を一変させます。街の広がり(他者とのかかわり)が内面をほぐして多孔化し、内面の数々が街の広がり(他者とのかかわり)を多彩にいろどります。例えば、少女が木の上に風船を引っ掛けて、それを行きずりの主人公が無造作にとってやるシーン。これが、視点やエピソードを代え、つど異なる価値を帯びて変奏される。
 これほど複雑に組み上げておきながら、一向に破綻がなく、しかも、にも拘らず予定調和へすら至りません。くらもちさんらしいといえばそのとおりなのだけれど(いや、そうでもないか。ややぎこちなさがあとを引くのもあります。『おばけたんご』とか『月のパルス』とか。それはそれで魅力なんだけど)、大伽藍の威容ばかりか、そこを吹き抜ける風通しのよさをも両立させる手腕。これはちょっとした事件だと思います。

 『同上』第9巻、236頁。
  最終回直前であるこの話数は、人間関係からいったん身を剥がし、村を巡回するねこの一日を追って終始します。その道ゆく先々には、これまでのエピソードの顛末や気配が濃厚に立ちこめています。だけど、ねこ目線ゆえどこか他人事、いいヌケ具合です。しかも彼があちこちでごろごろ油を売るたび、村の穏やかな自然とゆっくりした時間がじわりじわり露呈します。個性豊かな人間模様の数々は、村というおおきな叙事詩の一篇として再編され、村そのものの奥深い滋味となり、全篇へ向けて染み広がるまでに及びます。


 じつは、本日3/25(金)は『花に染む』最新刊の発売日なのでした。第7巻です。

あけました、2016年。

  • 2016.01.01 Friday
  • 11:23
 あけまして、おめでとうございます。
 例年どおり、今年も元日から営業です。

 ふだんの休日にもましてひっそり落ちつく道なり。わりあい好きなので、しっかり噛みしめて自転車を走らせてきました。ときおりよぎる人かげもどこか無防備で、ああ三箇日だななんてしみじみ。

 どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます〜。
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年末年始の営業につきまして

  • 2015.12.23 Wednesday
  • 15:19
 いわれてみれば、比較的寒くないような気もするけれど、やっぱり寒い!もう年の瀬です。夏が恋しいな。。
 「かしわ湯」さんが先般休業なさってしまったので、一入そう感じてしまいます。余所より無闇に熱いお湯が、もう底冷えした体にはたまらなかったのです。チクチク肌さす湯が次第に馴染んで、筋肉がほぐされてゆくあの脱力感!くぅ〜。そういえば、いつも湯に投入されていたブラックシリカ、あれの効用もあったのかしら。(ちなみに、数年前、河北新報に載せて頂いたエッセイは「かしわ湯」さんを舞台にしていたのでした。文中のTSUTAYAは広瀬通り店)
 街中に残る銭湯は「駒の湯」さん一件になってしまいました。淋しいな。

 さて本題。年末年始は、例年どおり通常営業。大晦日も元日も10:00〜20:00の予定です。なお、火曜日にあたる12/29と1/5は定休を頂きます。のんびりやっているので、よかったらどうぞ遊びにいらして下さいませ〜。
 ひとまず、、よいお年を!

 ところで、きのうは定休日だったので、ぐるっと展覧会めぐりをしてきました。
 県美ピカソ展。愉しく通覧できたものの、欲をいえばもうちょっと冴えた作品が見たかったかな。。
 タナラン大槻英世さんの個展。例によってマスキングテープを模すミニマルな絵画です。ただ一点だけ、わずかに趣の異なる作品がありました。テープ的な線状の構成をとらず、千切った紙を模して、散るように画面を覆うものです。筆触(のオールオーヴァー)と紙(吹雪)のダブルイメージも面白いのですが、それだけに留まらず、本来一回的であるはずの筆触を反復し、ひいては筆触のキャラ立ちにまで立ち入りそうな気配がありました。要は、アクションペインティングの筆触をポップアートに仕立てたリキテンシュタインや、岡崎乾二郎さんのタブローにも連なる問いです。この先がちょっと気になります。(会期 2015.12.22 - 12.27)
 SARP福島隆嗣さんの個展。皇居前広場、新宿御苑、明治神宮、王城寺原。各地で、不在の中心をめぐり撮り溜められた写真です。かといって、決定的な被写体を避けて、逆説的にそれを特権化するわけでもありません。むしろ、写っている形式そのものに面白みが見出だせます。撮影地ごとにスタイルがおのずと分別されてゆくのです。
 園路が暗黙に了解されている皇居前広場では、来訪者は意識するともなく列をなして歩を進めます。すると、カメラもそれに従い、行儀正しくアイレベルを中央に据え、大地と平行に景色を切り取ります。それが新宿御苑では、来訪者が思いおもいに広場で寛ぐためか、カメラの角度が若干下がり(同時に大地も奥へ競り上がっている)、画面下方2/3を大地が占めるようになります。明治神宮に及ぶや、樹木の存在感に圧倒されたのでしょうか、仰角とトリミングによって、生い茂る木々が画面を覆います。そして、王城寺原にいたると、荒地ゆえか角度も距離も様々にまなざしが散らされます。
 場所とカメラが互いに触発してスタイルを織り上げるさまは、とてもドラマチックだったのでした。(会期 2015.12.22 - 12.27)

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多夢多夢茶会 秋篇!

  • 2015.11.08 Sunday
  • 13:04
 チラシと半券づくりに協力させて頂きましたー。初回からこれで通算3回め。まいど、あれこれアイデア練るの楽しませてもらっています。

 B5コピー用紙を二ツ折。バビューンとブランコが振り抜けてゆきます。

 今回は、アニメ「アルプスの少女ハイジ」(高畑勲演出)のオープニングから超ド級ブランコを拝借しました。当作では地平線を上下させて、縦にパンしていたのを、右めくりのチラシにあわせて横へパン。さしずめキーフレームを4つ並べてアニメーションもどきができればな、と。チラシなので情報提供すべく、ちゃっかり動線に視線誘導も託してます。あと、アニメでは小鳥(種類が不明)がハイジに併走してましたが、ハトに代えました。宮崎夏次系さんのまんが「線路と家」に触発されまして(ちなみに彼女は小牛田出身で仙台の宮城野高校卒)。

 表紙。


 中味。でこれを捲ると、、

 裏表紙では、手が滑って落下しちゃいます。。
 、、じつは半券へ続きます。



 アニメ同様、雲に着地!(表)
 でもやっぱり落ちます!!(裏)



 イベント当日まであと2週間あまり。予約・お問い合わせは、こちらまで。
 e-mail : tamtamchakai@gmail.com 
 携帯電話 : 09095373142(結城)

 ところで先般、『この世界の片隅に』(
こうの史代)のアニメ映画化を話題にした矢先、こんどは『聲の形』(大今良時)のアニメ映画化というニュースが!しかも、監督が京アニの山田尚子さんだとか。いやはや、来年はえらい年になりそうです。最近、京アニの『CLANNAD(クラナド)第1期 第2期』をがんばって完走したのですが((全49話もある。。第1期は忍耐のひと言)、山田さんと高雄統子さんの演出回はやはり別格だったのでした。第2期16話の渚とそれ以降の汐の作画がとにかくすごい。原画と中割を誰が担当したのか知りたい。。
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大嶋貴明個展 絵画の身体へ

  • 2015.10.29 Thursday
  • 22:00

 先日拝見してきたところ、とてもおもしろい展開になっていました。忘れないうちに、印象を書きとめておきます。
 会期は今週いっぱい日曜(11月1日)まで。
 なお、土曜日10月31日には、制作しながらお話もするという、なんだか大変そうだけど興味津々なイベントが予定されています。

 画像はすべてTURNAROUNDさんのホームページから転載

 作品はどれも、画面の大半をバイオレットが占め、そこへシルバーが割って入ります。かたや補色に近いグリーンも忍び込んだり。互いに相反する色相は、溶けこむことなく引き立て合い、地のホワイトともども色面を輝かせます。
 そして、その広がりは、たとえ単色であろうと複雑です。にじむ階調や筆触の勢いに一様ならざる時間が込められているのです。筆を足すにも、乾き具合が慎重に測られています。しかもそれが、切り取られては余所へ貼り込まれ、時間の断層を増幅します。
 まなざしは、断層に臨むやあえなく滑走を阻まれて、つどに応じてギアチェンジを余儀なくされます。タイムラグを踏み越えるに相応しい速度が要請されるのです。たとえば、シルバーは、グレーの色面にさしかかるや明度差へギアが強いられ、妙なる階調を発揮します。ところが他方で、バイオレットの染みを覆うに及び、色相にギアが入り、そこには属さない何ものか、さしずめ黒衣として身を引いてしまいます。修正液のように、あたかもないものとして振る舞うのです。

 断層を跨ぐたび、まなざしは、的確に速度を編み出し新たな質を経験します。この経巡りが絵画の味わいを織りなすわけです。しかし、サーキットには原理上終わりがありません。継起する質を闇雲に消費したところで、ちぐはぐな印象を積み上げるばかりです。
 そこで、経験を取りまとめる屋台骨が導入されます。フレームです。貼り込まれた紙や筆触の縁など、じつは画中にはフレームがひしめき合っています。画面を分かつ断層じたいが、フレームとして、自ら生みだす数多の質を取りまとめもするのです。貼り込まれたあらゆるものが、この両義性を担います。トレーシングペーパーやクリアファイル(明度や彩度の操作、たわみによるレリーフ状の位相差を招く)、それから布地やリボン(肌理や浸透の度合い、象徴上の対比を誘う)。


 いうまでもなく、作品の縁も例外ではありません。画中を取りまとめるのみならず、展示空間に断層をさしはさみます。縁がほつれていたり、複数作がずらされつつ重ねられたり(下層の絵はまず見えない。ただ、僅かに縁が覗きみえるよう配慮されている)。あるいは、小さな合板が、パネルの縁に沿って外へ接ぎ木されたり。フレームの完結を避け、内外の区分けを揺るがすのです。さらにそれが、画中の色面よろしく、会場のあちこちへ割り振られます。排列がアイレベルへ収斂することはありません。
 また、壁面には、あたかも画中の破れ目を踏襲するかのようにスリットまで設けられ、コーナーにはシルバーの帯があしらわれます。帯の照り返しは、外光のさすスリットを反復すると同時に、壁面の縁を曖昧に暈します。会場の構造さえも駆り立てて、幾重にもフレームが励起されているのです。その上で、シルバーの帯は、形状や効果を通して画中のリボンや筆触へ折り返されます。
 歩を進めるに従い、会場と作品はともに刻々と仕切りなおされ、そのつど何らか質の偏りをフレームアップします。ただしそれは、必ずしも物理的な縁に一致するとは限りません。フレームとは、あくまで質(内包)を仮留めする働きであって、外延を確定する形式ではないのです。

 勢いで書き連ねているので、読みにくいことこのうえないかと思われます。いつにもまして面目ないったら。。
 でも、最後にもう一点。基調色にバイオレットが選ばれているのは何故か?これだけ触れて締めたいと思います。

 消去法なのは間違いないのだけれど(ご本人にも確認済み)、だからこそその経緯を裏打ちする理路に興味が湧きます。
 まず、どの作品も、求心力を削ぎフレームが弱められているため、インスタレーションに仕立てた場合、互いに融和して空間が閉じてしまう恐れがあります。まして膨張色だったならなおさらです。だから、寒色系によって拡張性を事前に回避しておかねばならない。
 と同時に、色彩の冴えも確保する必要がある。つまり互いに引き立て合う補色にも寒色系をあてられるバイオレットが相応しいわけです(厳密にはバイオレットの補色はイエローだが、レッドバイオレットのそれがイエローグリーン。きわきわの戦略だ)。
 しかも、バイオレットにはレッドとブルーが潜んでおり、要所で多彩な工夫が見込めます。実際、リボンには、シルバー、グリーンとともにレッドが採用されていました。

大嶋貴明個展 絵画の身体へ

会期:2015.10.20-11.1
時間:11:00-20:00(日曜のみ-18:00)、月曜休廊
会場:TURNAROUND(ギャラリー ターンアラウンド)
   仙台市青葉区大手町6-22 久光ビル1F

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『本屋へ行こう !!』『ぱど』! ! !

  • 2015.10.14 Wednesday
  • 14:36
 うっかりしてる間に秋になってしまいました。空気がひゃっこいこと。これからまた冬なんですね。。うだるような暑さが恋しいなぁ。
 さて、ご報告をいくつか。。

 全国の本屋さんを取材したムック本が、洋泉社さんから出版されました。『本屋へ行こう !!』です。
 なかには「書店員がつくるフリーペーパー」を紹介する項目もあって、『マゼラン・マガジン』も取り上げて頂いています。弊店のはさておき、どれもおもしろそうなものばかり。みな好き勝手に作ってるのがとても感じよいです。いつか全部集めてみたいな。

 記事を書いて下さった南蛇楼さん、ありがとうございましたー。ちなみに、南蛇楼さんは他にも「古書店放浪記(西日本編)」や「北陸の古書店がいまアツい !?」など多数寄稿なさっています。東北に住んでいると、なかなか足を運べない地域なので、ぼくもわくわくしながら読ませて頂きました。
 とまれ、本書は、単なる本屋の羅列とは異なり、類書ではあまりスポットを当てられないようなお店も見受けられたり、踏み込んだ書店の楽しみ方に触れていたり、なかなか読み甲斐があります。新刊書店でぜひお買い求め下さーい!

 かたや、かなりローカルになってしまいますが、フリーペーパー『ぱど』の「北仙台・旭ヶ丘エリア」版(第612号 2015.10.9)に「秋時間を彩る Book Cafe」という特集記事が組まれています。市内のブックカフェが4つ紹介され、弊店もその末席を汚しております。火星の庭さん、stockさん、cafe haven't we metさん。各店舗の雰囲気をコンパクトかつ丁寧に案内して下さっています。記者さんに深謝。

 ちなみに、お店ごとの「おすすめ本」に、弊店からは『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人』(姉崎等 木楽舎 2002)をあげました。タイトルから察するになんだかハウツー本みたいで、ついスルーしちゃいそうですが、さにあらず、徹頭徹尾アイヌ文化の貴重な証言、かつ実地から得られるクマの生態の豊富な描写です。
 わけても、著者の姉崎さんは、アイヌとシャモ(和人)のハーフゆえ、伝統を相対化するまなざしをも兼ね備えていて、その一言ひとことが味わい深い。例えば、一般的にはクマを捕ったら、アイヌの儀式に則り祭って解体するわけですが、彼はつい興味津々にクマを細かく解剖しては観察してしまいます。そこから、冬眠期に形成される肛門の栓について新たな知見を引き出してみせたりするのです。
 なお、『ぱど』の記者さんが付言して下さっているように、本書じたいはもう絶版ですが、筑摩書房から同タイトルで文庫が出ています。

 最後に個展をふたつご案内。



 お二方ともかつて弊店でも展示して頂いたことがあります。よかったら、当時の記事をご覧下さい。
 →大嶋貴明さん。
 →高橋健太郎さん。

「大嶋貴明個 展 絵画の身体へ」
会期:2015.10.20-11.1
会場:TURNAROUND(仙台市青葉区大手6-22 久光ビル1F)

「高橋健太郎 展」
会期:2015.10.20-10.25
会場:SARP(仙台市青葉区錦町1-12-7)
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連休期間も通常営業。

  • 2015.09.18 Friday
  • 20:56
 明日9/19(土)から5連休が始まりますが、弊店はいつもどおり。火曜日のみ定休を頂き、他日は営業いたします。

 ご近所ではあれこれイベントが組まれているようです。せんだいメディアテーク仙台短篇映画祭SARP仙台写真月間。。などなど。ついでにふらり古本も渉猟して頂けたら、、なんて。。お待ちしておりまーす。
 それにつけても、ホン・サンスと山戸結希の作品はスクリーンで見たかったなぁ。。まいどながら仕事があるためぼくは断念。見られる方はぜひ。
 あと、いま展示中の小岩勉さんの写真、おもしろいです。先日拝見してきました。例によって階調優先のグレー(植物の葉っぱたち!)を基調としながら、今回はいつにもまして影のさす構図がコントラストを強調、画面をより複雑にしていました。
 わけても、梅田川の一枚が超絶格好いい。カリカリに焼かれたシャープな草葉と、空を反射し流動する水面のぬめり。まず、この対比じたいが官能的。それが肌理どうし連合して、平面のレイヤーを構成します。かたや奥には鯉がたゆたい、今しも手づかみできそう。つい水面のぬめりにまなざしを潜らせ、鱗に触れてしまいます。半ば押し返されつつ、水面に分け入るまなざし。これは、鯉のあり方そのものへ折り重なり、水流を押しのける反作用、ソリッドなマッスとして平面から区別されるレイヤーを新たに切り出します。(鯉の実在感は、その描写にではなく、草や水のあり方との対比に拠る。興味深いのはそれが、肌理のぬめりからかき分ける抵抗感へと、触覚の差異化として発生する点だ)。そしてさらに、画面上方に落ちる屋根らしき影、これが投影元の存在を仄めかし、画面外の広がり、媒質の存在に気づかせてくれます。鯉が水流をかき分けねばならないように、撮影者/観者もまた大気(あるいは屋根とその影)に挟まれている、と。
 草と水と魚、そして大気。互いが互いを触発し、次々とレイヤーを分岐させてゆく。平面と個体、媒質と個体等々。いずれにしろ、前・中・後景など、出来合いの形式はこの際無用というほかありません。レイヤーは画面をまさぐり味わう過程において初めて生成されうる。つくづく魅入ってしまいました。。
 なお、小岩さんのとなりのスペースでは佐々木薫さんの個展も開かれています。両者とも会期は9/20(日)まで。仙台写真月間では、ひと月のあいだリレー形式で個展が一週間ずつ開かれます。彼らの次は、今泉勤さん野寺亜季子さん。

 ★ 仙台短篇映画祭 2015
   会期:2015.9.20-22
   会場:せんだいメディアテーク

 ★ 仙台写真月間 2015
   会期:2015.9.1-10.4
   会場:SARP
birdo spaceCaco

 それから、ちょっと遠方にはなりますが、樋口佳絵さんが軽井沢で個展を開かれています。会期も長いですし、都合がおつきになりそうな方がいらしたら、ぜひどうぞー。

 ★ ものがたりの日々 樋口佳絵展
   会期:2015.9.1-11.23
   会場:軽井沢現代美術館


 今日の一冊とひと言。


 " EADWEARD MUYBRIDGE "TASCHEN,2010
 お世話になっています。

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『みんなのミシマガジン』の「今日の一冊」で選書しますー。

  • 2015.08.02 Sunday
  • 14:24
 本題前に、、お盆期間中の営業につき、お知らせです。
 例によって、とくに店を休む予定はありません。時間も平常どおりです。
 ので、どうぞお越し下さいませ〜。

 閑話休題。

 『みんなのミシマガジン』は、東京の出版社であるミシマ社さんが営むWebマガジン。その一角に、選者が連日入れ替わり立ち替わり、本を紹介するコーナー(HPの中央左)があります。それが「今日の一冊」です。ご縁があって、ぼくも不肖ながら担当させて頂くことになりました。あす8月3日(月)〜7日(金)。ほんの5日間ばかりですが、ご一読頂けたら幸いです。。
 誌面じたい、毎日更新されて多彩な記事が楽しめます。拙文はさしおいても、まずはWebマガジンを覗いてみて下さい。フリーですよ。ぜひ!


 200字という以外とくにお題など制限もなく、現在流通しているものであれば何でもというお言葉に甘えて、自由に書かせて頂きました。さりとて、絶版やら品切れのものが存外多く、当初は焦りましたが。。
 一応、紹介する本を予告しておきまーす。

※ 時間が経ったので、本文をこちらにも転載しました。

8/3(月)
 『狼の群れと暮らした男』ショーン・エリス、築地書館、2012、¥2400+税
   

 狼の家族になりたい。その一心から、著者は単身ロッキーの原野へ潜り、あげく2年間も野性の狼と暮らした。本書はその記録を含む彼の半生だ。想像以上に知的な狼の生態も興味深いが、それ以上に著者の並外れた情熱には崇高さすら覚える。彼は何度も殺されかけてなお、一線を越えない狼に感銘を受け、繰り返し承認される喜びにうち震えるのだ。狼の掟に進んで身を捧げる姿はどこかユーモラスでもあり、マゾッホの小説を思わせる。


4(火)
 『動いている庭』ジル・クレマン、みすず書房、2015、¥4800+税
   

 著者の手がけた庭はよく動く。生長するばかりか字義通り、草花自ら移ろって園路の再考を迫るまでに及ぶ。殊に周期の短い草本種など種子を撒きつつ転々と、群落を結びつ解きつ有利な環境へ拡散してゆく。植物もまた人と同様、庭に作用するアクターなのだ。庭師の務めは、変化の兆しを解釈し応答を試すこと。著者によれば、人為と自然の別なく両者が織りなす遊戯空間こそ庭と呼びうる。その実践が、美しい図版を付して紹介される。


5(水)
 『アゲインスト・リテラシー グラフィティ文化論』大山エンリコイサム、LIXIL出版、2015、¥2700+税
   

 公共の至る所に名前を書き記すグラフィティ。60年代末ニューヨークに発し、90年代からはより広い実践であるストリート・アートを分岐させつつ今も進行中だ。本書はその変遷の機序を明快に案内する。例えば、当初は地元に根ざす通り名だったのが、活動が広がるにつれ、出自に関わる要素を削ぎ落し、判読不能な造形にまで暴走してしまう。キャラとして自立するのだ。それが、オタク文化と照らされもして特性が浮き彫りになる。


6(木)
 『この世界の片隅に』前・後編 こうの史代、双葉社、2011、各¥590+税
   

 佳境、焼夷弾が、絵を嗜む主人公から利き手を奪うや、作者自らペンを左に持ち替え背景が歪みだす。それは心象描写を越えて両手の非対称を印象づける。物語を紡ぐ右と抵抗する左。これは日常と戦争、呉と広島、作中の月日と実際に掲載された月等様々に変奏されてつど一方への偏向が執拗に慎まれる。虚構と現実は排斥し合うのでなく、むしろ両者の交通をこそ作品は促す。無い右手の綴る逸話が現実の浮浪児へ短絡する結末は圧巻だ。


7(金)
 『星座から見た地球』福永信、新潮社、2010、¥1500+税
   

 作中交わることのない年少の4名、各自の挿話が小分けに順繰り語られる。だが、読み進めるうち時系列はおろか彼らの同一性すら怪しくなる。他方で、細部や状況が共鳴しては目配せし、各話の記憶がショートする。描写にリアリズムを託すのではなく、むしろ記憶が象る星座にこそリアリティが宿りうる。だから本作は、読む過程にのみ、仮の定点たる地球としてしか存在しえない。読者とは星座の謂であり、読むたびに結い直されうる。



 ちなみに『この世界の片隅に』は来年、アニメとして映画公開されます(公式HP)。
 原作がまんがというメディウムに目を見開かせてくれる傑作なだけに、多少の不安は拭いきれないものの、、でもでもとっても楽しみなのです。

 映画「この世界の片隅に」特報1

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『マゼラン・マガジン』第3号出来!

  • 2015.06.19 Friday
  • 23:13
 懲りずにまたつくってみました、チラシ代わりのフリーペーパー。まるまる一年ぶりです。
 市内要所で配布させて頂くつもりなので、どうかお手にとって頂けたら幸いです〜。

 表向きはいつもどおり手抜き感溢るる体裁。四ツ折にしたA4版コピー用紙が2枚です。


 ひもとくと黒々。細かいトーンは潰れちゃうので、代わりにハイライトで小細工してます。

 生まれて初めて墨を入れてみたところ、つい調子に乗ってまっ黒に。いつもの白々しい誌面から様変わりしてしまいました。。内容はともかく、インクの質量だけは大サービスです。
 おまけに、フリーのお絵描きソフト(FireAlpaca)にも手を出して、無闇と手数が増えたり。。透視図法だけなら手書きで十分だけど、ガウスぼかしで被写界深度までだせると知るや、もう半狂乱。やたらめったら演出つけてしまいました(そもそもまんがを描くようになったきっかけが望遠パースの巧みな山田尚子のアニメなので)。



 中味は、例によって本の一節から着想をえて仕立てたまんがです。今回はウィトゲンシュタインが遺したメモ。

 こんなことがあった。大人が子どもに何度か、絵を描いてみせて、「これは男の人」、「これは家」などと言ったのである。すると子どもも線を何本か引いて、「じゃ、これ、なあに?」とたずねたのだ。(『反哲学的断章 文化と価値』丘沢静也 訳、青土社、1999)

 哲学者のアレゴリーとして、素朴ゆえにこそ根底的な問いを発する子どもが描かれた条りです。ところが、どうもそれだけの意味には留まらない気がしてならず、ながらく頭の片隅を巣食って今にいたります。たぶんここには、著者本人による言語ゲームのアイディアはもとより、精神分析における親と子どものテーマ(転移や大文字の他者など)、それからもっと一般的にカントの図式、ドゥルーズのダイアグラム(ヴァールブルグの情念定型やゴンブリッチの図形のはなしも含めていいかもしれない)など盛り沢山の問題がはち切れそうに圧縮されて感じられるからなのだと思います。なので、まんがでは積年の妄想がだだ漏れしています。
 たとえば、ちゃぶ台(テーブル=タブロー=舞台)の上は、ことばや作法が往き交い継承される、大人の社会。人はそれを取り囲むように周到に配され、役を負います。かたや、ちゃぶ台より下は子ども(や動物なんかも)が大人の目を逃れる遊戯空間(かくれんぼ!)。父から娘へ何かあるものが命名され受け継がれるにしろ(愛の要求へのかりそめの答え、まんがでは母の形象)、いずれ誤配を重ねては(ステルス機じゃないって言ってるのに、子どもはそれに執着する)意味すら失い、あげく身体によるアクションにまで変容してしまいます。意味づけられたかに思えた記号は、大人の知らぬ間に、子どもの遊び道具、単なるものとして扱われ、あてどなく空へ放り出される。
 ちなみに、大人もときには、子ども=動物たちと肩を並べることがあります。それは、午睡がてらごろんと横になるか、端的に臨終した折りです。ルールや責任から解かれ、社会から撤退するいっとき。まんがの情景は父の一周忌です。最後のショット、つまり孫に当たる少年の後ろ姿は、おそらく亡くなった父のまなざしでもあり、隣り合う4コマめ、つまり記憶のなかの父の正面像と折り重なります(リテラルにも、実際に四ツ折されてうち重なる)。
 ちゃんと検証したことはないけれど、この辺りは、小津に限らず日本映画のローアングルにも辿れそう。

 それから、登場人物については、まるきり設定を変えてますが、志村貴子のまんが『青い花』から借用(引用)させて頂きました。ちょっと思うところがありまして。。ま、また気が向いたらまとめてみたいと思います。

 最後に宣伝があります!

 かわいい装丁。

 つい先日、仙台でイラストレーターをなさっている佐藤ジュンコさんが2冊めのご著書を出版なさいました。ミシマ社さんのウェブマガジンで連載なさっていたエッセイマンガをまとめたものです。
 弊店のことも描いて下さっており、ぼくもいぬの顔にすげ替えられて登場します。。人面犬ならぬいぬづらびと。
 新刊書店をはじめ、市内各所、もちろんうちでも扱っています。ぜひに!

 『佐藤ジュンコのひとり飯な日々』ミシマ社、2015、¥1000+税。

 来月頭には、ジュンコさんといがらしみきおさんの対談もあるそうです!会場はご近所のセンダイコーヒーさん。くわしくはこちらで。

 日時:2015.7.3 開場18:30-/開演19:00-
 会場:センダイコーヒー 18:30/開演19:00/終了21:00予定
 入場料:¥1500(付ワンドリンク)
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Book!Book!Sendai2015「私的研究本」はじめました〜

  • 2015.06.01 Monday
  • 00:00
 本題前におしらせ。。

 かねて告知して参りましたが、いよいよ今月の25日をもって、旧URLは閉鎖されることになっています。今後は、引っ越し先である当URLで記事を更新して参ります。どうかこちらでもよろしくお願い致しますー。

 それから、『美術手帖』の連載テクスト、椹木野衣さんによる「後美術論」。その最新記事(2015年6月号)に、宮城にゆかり深い、山内宏泰さんと高山登さん両名が大きく取り上げられています。地元びいきをさし引いてもこれは必見ですよ!
 とりわけ後者については、作家論として重要な指摘が随所でなされ、否応なく引き込まれてしまいました。高山さんとえば、キャリアに相応しく従来さまざまに論評されてきましたが、間違いなく今後はこのテクストを避けて通るわけにはゆかなくなるのではないかしら。。
 日本の彫刻史上には、西洋にいう「マッス」が見受けられない、そう発言する高山さんを受け、椹木さんは、彼を日本固有の問題を自覚的に引き受けた作家とみなします。つまり、表面的な「ヴォリューム」しか扱ってこれなかった歴史の事実にどう応接しうるか、そう問うことから高山さんの作品を読み解くのです。そして返す刀で、いわゆる「もの派」との違いを鮮明にします。「もの派」が「マッス」を観念的に実現(しようと)するのに対して、高山さんはあくまで日本の条件に留まり、枕木による線的かつ離散的なインスタレーションにこだわる、という具合に。
 ちなみに、彼の弟子筋にあたる青野文昭さんにも、同様の傾向が受け継がれており、、というか、より顕著に露呈しているので(リテラルに空っぽな素材、箪笥や車が頻用される)、この辺はもっと展開できそうです。

 じつは、くだんの高山さんの引用は、5年前に青野さんとぼくがインタビューさせて頂いたおりの一節です。かなりざっくばらんにお話し頂いているので、ほかでは伺えないようなこともちらほら。よかったら、SARPのホームページからご覧頂けます。(→「高山登インタビュー 美術・教育・文化」

 さてさて、閑話休題。

 奥の面陳3冊のほかにも、関連本を数冊見繕ってみました。


 掲示案内用のフォーマット、ちょっとアレンジして落書きも足してみました。

 6月いっぱいかけて、Book!Book!Sendai2015(以下BBS)の企画「私的研究本」が始まります。いろんな方々がセレクトした3冊が、市内41ヶ所にて展示されます。恥ずかしながら、弊店も末席を汚しております。
 正直とくべつ「研究」してきたものなんて何にもなくて、勝手気ままにばかり読んできたものだから、あらたまってテーマを決める段になり、はて、、と。セレクトといっても、完全にでっち上げ。妄想の域を出ていません。とほほ。でも、たぶん書評と区別して「私的研究」というからには、ツィッターのつぶやきみたいなものだと考えて頂ければ、幸いです。

 ほかにも6月中はBBSのイベントが目白押しです。詳しくは公式ホームページをどうぞ。

*** 「私的研究本」案内 ***

会場 書本&cafe magellan(マゼラン)
テーマ 線が、たとえば顔になるときについて
研究者 高熊洋平(マゼラン店長)

BooK1 シャルル・ル・ブラン「感情表現に関する講演」『西洋美術研究』第2号、三元社、1999、pp.146-156 所収
BooK2 『復刻版 観相学試論』ロドルフ・テプフェール、オフィスへリア、2013
BooK3 『人及び動物の表情について』チャールズ・ダーウィン、岩波書店、1931

A1. あなたの研究について教えてください。
 
 大人が子どもに何度か、絵を描いてみせて、「これは男の人」、「これは家」などと言ったのである。すると子どもも線を何本か引いて、「じゃ、これ、なあに?」とたずねたのだ。
(ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章 文化と価値』丘沢静也 訳)

 線ってなんだか気になります。ぽーとしているせいか幼少のころから、線が伸びているとついあとをついていってしまいます。電線の影や街角の落書き、それにはっぱの葉脈。そうそう、クモの巣も。そうこうするうち、いつの間にか関連する本まで集まっていました。そこで今回は、誰しも生まれるなり否応なくとらわれて最期まで縁の切れない線、すなわち穴のふちやら皺からなる顔をテーマにピックアップしてみました。(★1)要は、特別な研究などでは毛頭なく、単なる気まぐれの寄せ集めに過ぎないというわけで、、あしからず。


A2. この3冊はどんな本ですか?

 顔は、画家にとって一大事でした。アルベルティやレオナルドなど、ルネサンス期の画論にもしばしば顔を描く難しさが説かれています。わけても17世紀には、アカデミーの立役者ル・ブランが表情のありようを豊富な線画とともに体系立ててみせました。「感情表現に関する講演」がそれです。やがて出版されるに及び、画家のみならず他分野、たとえば俳優の演技指導にまで広く影響をもたらします。
 さて、ル・ブランは、往時の生理学(とくにデカルト)を踏まえながら、内なる情念がいかに目に見える表情を導くか整然と分類しています。まるで内面が過不足なく外面に現れうるかのように。彼にとって表情とは、情念とじかに通ずる透明な符牒です。

 ところが、およそ1世紀半後には、まったく異なるアプローチが現れ、急速に普及します。いわゆるまんがに見られるキャラです。テプフェールは、コマ割りまんがを発明した最初の作家であり、かつ明晰な理論まで残しました。『観相学試論』です。彼はこう述べます。「あらゆる人間の顔は、どんなに幼稚に、下手に描いたとしても、必然的に、線で描かれたというそのことによって、完全に特定しうるなんらかの表情を持つ」。もはや、内なる情念など端からあてにされません。かえって、外面を描き、見るというその遂行こそが、そのつど内面なるものを引きよせるというのです。表情と情動の呼応は不透明になるほかなく、つどに従い新たな関係を切り結ぶことになります。

 そして、さらに四半世紀のち、『人及び動物の表情について』が世に問われます。画論とは趣が異なりますが、これもまた表情と情動の対応をあらためて探りなおす試みになりえています。たとえば、およそ人間であれば、文化圏の別なく、怒ると上唇をあげては口角をさげ、犬歯をあらわにします。ダーウィンによれば、敵対する動物を噛むなり威嚇していた時代の名残だといいます。つまり、表情とは、意識下で反復し学習された習慣が文脈をこえ情動を跨いで転用され来ったものなのです。また、それがいくつも連合することによって、複雑かつユニークな表情が文化ごとに育まれる次第にもなるわけです。

 テプフェールとダーウィン。彼らの足並みは、インクと皺という素材の違いこそあれ、頭部に貼りつく線がいかに表情を結びうるかそう問う一点につき揃っていました。ル・ブランが疑いすらしなかった表情の一意性などには見向きもしません。これは、彼らの資質以上に歴史の要請だったようにも思えます。というのも、18〜19世紀は、革命を経たヨーロッパが資本主義を加速させ、急激な大都市化を被った変動期です。折しも妖しげな観相学が上へ下へ大流行し、あげく俗受けするあまり、人相で雇用を左右する向きもあったとか。(★2)不特定多数の人間が流動し、得体の知れない顔が街に溢れたとなれば、それもやむをえない悲喜劇だったのかもしれません。旧来の安定した意味が顔から失われ、それが自明化した時代。意味を欠いた線は避けようのない所与であり、テプフェールらは、そこからロジックを鍛えなおす必要があった。アドホックにでも表情に見通しをたてるために。もとより観相学からは距離をおいて、ですが。

★1 選書した3冊のほかにもいくつか関連書を。。
テプフェール:
 『テプフェール マンガの発明』ティエリ・グルンステン、ブノワ・ペータス、ロドルフ・テプフェール、法政大学出版局、2014
 『M.ヴィユ・ボア』ロドルフ・テプフェール、オフィスへリア、2008
 『芸術と幻影』エルンスト・ゴンブリッチ、岩崎美術社、1979
認知:
 『顔を科学する 適応と障害の脳科学』山口真美 柿木隆介 編、東京大学出版会、2013
 『赤ちゃんは顔をよむ』山口真美、角川学芸出版、2013
思想:
 『千のプラトー』中巻、ジル・ドゥルーズ、河出書房新社、2010
 『全体性と無限』下巻、エマニュエル・レヴィナス、岩波書店、2006
美術:
 『画家のノート』アンリ・マティス、みすず書房、1978
 『エクリ』アルベルト・ジャコメッティ、みすず書房、1994
まんが・アニメ:
 『リトル・ニモの大冒険』ウィンザー・マッケイ、パイ インターナショナル、2014
 『この世界の片隅に』前後編、こうの史代、双葉社、2011
 『映画けいおん! 名場面線画集』京都アニメーション、2012
線:
 『ラインズ 線の文化史』ティム・インゴルド、左右社、2014


★2 スイスの神学者ヨハン・カスパール・ラファーター『観相学断片』の熱狂的な受容。その顛末は次のエッセイに詳しい。
高山宏「< 神の書跡 >としての顔」『メデューサの知』青土社、1987所収。


***

追記

 NHKのみなさん。

 あす6月2日、NHK総合のテレビ番組「てれまさむね」で「私的研究本」の紹介をして下さるそうです。きょう弊店にまで取材にいらして下さいました。ありがたいことです(スタッフの方々には本当おつかれさまでした。揉み手NG出してごめんなさい)。番組じたいは18:10〜、紹介映像は18:30ぐらいじゃないかということです。よかったらご覧下さいませ〜。

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